背中を押してくれた生き様と言葉 

数日前に、フランスが4月24日をアルメニア人虐殺記念日に制定するというニュースがありました。アルメニア人虐殺を歴史的事実と認定している国は多いですが、フランスほどの影響力のある国が記念日に制定するのは大きな出来事です。もちろんアルメニアは今回の仏政府の決定を歓迎しています。

フランス国内には多くのアルメニア系住民がいて、強力な民族系ロビーを形成しています。3年前には、表現の自由に抵触すると問題になったアルメニア人虐殺否定禁止法も成立しました。アルメニア人虐殺を否定する者を罰する法律で、虐殺を認めないトルコは猛抗議しました。

今回の記念日制定に対してもトルコは激しく抗議しており、両国の関係が悪化する可能性もあります。それでも公約を守ろうとしたのは、やはりアルメニア人ロビーの影響力が大きいからでしょうか。全国規模の反政府デモが続き、マクロン大統領の支持率も下がりっぱなしですからね…

さて、私はアルメニアに住み始める前に、フィリピンのミンダナオ島にある大学で日本語を教えていました。そのミンダナオ島には、ハウスオブジョイという孤児院があります。約22年前に烏山さんという日本人が設立しました。「見える行動で、見えない愛を表現したい」というモットーを掲げ、親がいない子供たち、貧困や虐待などで苦しむ子供たちを数多く受け入れています。私もフィリピン滞在中に何度か訪問しました。

昨日、その創立者である烏山さんが亡くなりました。享年61歳。ここ数年は糖尿病が悪化して、両足を切断したりと体の状態がよくないことは知っていましたが、突然の訃報に驚きました。最期は付き添っていた奥さんに、「愛している。ありがとう」と告げて、安らかに息を引き取ったそうです。

10年前に烏山さんから孤児院設立の経緯や苦労話を聞いた時のことは、今でもよく覚えています。青年海外協力隊としてミンダナオ島の農業支援に従事した後、日本の商社に就職して、フィリピンで出会った奥さんと結婚しました。バブル時代で景気も良く、烏山さんは台湾支社長も務めました。さらに待望の子供も生まれて、全てが順風満帆のようでしたが、烏山さん自身はどこか心が満たされず悩んでいたそうです。

そして、ある夜、夢の中でこんな声を聞いたそうです。「フィリピンの貧しい子供たちのために生きなさい」 敬虔なクリスチャンの烏山さんは神の声だと信じて、翌日に辞表を出しました…ここまで聞いた私は、「その夢を見た直後に、会社を辞めて孤児院を作るって決めたんですか?!」と、ひっくり返りそうになるほど驚きました。

豊かで安定した生活を手に入れ、子宝にも恵まれた矢先に、フィリピンで孤児院を作るという決断。もちろん奥さんは反対したそうですが、離婚も覚悟の上だった烏山さんの決意は揺らぎませんでした。その後、家族でミンダナオ島に移住し、ハウスオブジョイを設立しましたが、ゲリラに脅迫されたり、すぐに資金が底をついたりと苦労が絶えませんでした。しかし、奇跡のような出来事や多くの人たちの支援に助けられて、何とかやってこれたそうです。

まるで映画かドラマのような話を、当時まだお元気だった烏山さんは、お酒を片手にニコニコ笑いながら語ってくれました。目の前にいる穏やかなおじさんが、そんな激動の人生を送ってきたなんて…人はそこまで何かに突き動かされて無償で行動できるものなのか…あの時の衝撃はいまだに忘れられません。

当時の私は、アルメニアに行くかどうかで悩んでいました。アルメニアで日本語を教えたい、日本文化センターを作りたい。でも、教師の給料はたったの50ドルで苦しい生活が待っている。そんな無謀なことに30代半ばで挑戦していいのか…と迷っていましたが、もっともっと大きなリスクを冒しながら自分が信じる道を生きてきた烏山さんの話を聞いた後は、大切なことに気づかされて目が覚めるような思いでした。

そして、烏山さんに自分の夢と不安を伝えると、「正しいことをしていれば、神様はいつも見守ってくれる。困った時には必要なものを与えてくれる。だから心配せずに、自分の心が望むとおりに生きていけばいい」と言ってくれました。その言葉で迷いが吹っ切れたように感じました。私がアルメニアに行く決断ができたのは、烏山さんの生き様と言葉が背中を押してくれた部分があります

烏山さんが亡くなり、今はハウスオブジョイも深い悲しみの中にあるかと思いますが、「歓びの家」という名前の通り、またすぐに子供たちの笑顔で明るくなるでしょう。苦しい生活を送ってきた子供たちを幸せにするために烏山さんが残した場所ですからね。

あの時、烏山さんに出会えたことは一つの奇跡だったと思います。その出会いに感謝です。心からご冥福をお祈りします。

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ダバオ市で開かれた天皇誕生日レセプションで初めてお会いしました。この時は、烏山さんの壮絶な人生について何も知りませんでした。

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一緒に島に遊びに行った時に、船の上でギターを弾く烏山さん。お酒が大好きで朗らかな人でした。

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ハウスオブジョイでは、貧困や虐待などの問題で苦しむ子供たちを保護してきました。烏山さんの遺志を受け継いで、今後も子供たちの「歓びの家」であり続けるでしょう。

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