スピタク大地震から30年
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アルメニアでは、家族が亡くなってから1週間、その人の部屋の電気をつけっぱなしにする習慣があります。妻の伯父の部屋もずっと明るくて、いつものようにタバコ吸いながらテレビでも見てるのかなんて思ってしまいます。でも、もういないんですよね…何だかまだ信じられません。
今日9日は国会議員総選挙の投票日。これまでの買収や圧力がまかり通る腐敗した選挙ではなく、公平でクリーンな選挙になるのではと期待されています。もしそうなれば、パシニャン首相が率いる政党「マイステップ」の勝利は確実でしょう。気になる結果については、また当ブログでお伝えします。
そういえば、革命で辞任した元大統領の甥がプラハで逮捕されるというニュースがありました。今年夏に横領やドラッグ・武器の密輸などの罪で指名手配を受けてから、国外に逃亡していました。拘束された時、彼はフランクリン・ゴンサレスという偽名でグアテマラのパスポートを所持して身を隠していたそうです。それなりに大きな力が逃亡を手助けしたのではないでしょうか…
彼の父親、つまり元大統領の弟は国内外に莫大な資産を持つマフィアで、革命後に武器の不法所持の疑いで一時拘束されました。もともと汚職スキャンダルが絶えない人物で、最近も30億円以上を国庫に返還させられることになったと聞きました。息子が逮捕されて、さらに苦しい状況に追い込まれるかもしれませんね。まあ、私利私欲のために権力を濫用してきた罰です。
さて、一昨日の12月7日は1988年にスピタク大地震が起こった日。今年でちょうど30年が経ちました。2万5千人もの尊い命が失われた大きな悲劇です。寒さの厳しい冬だったこと、また耐震性に乏しいソ連時代の高層住宅がほぼ全壊したことなども被害を甚大にしました。
その際に日本政府も様々な支援を行ったので、東日本大震災の発生直後にアルメニア政府は義援金を送ってくれました。また、震源地のスピタクの町には日本の犠牲者のためにハチュカル(十字架石)が建てられ、毎年3月11日にアルメニアの人たちがそこに献花してくれています。
7日にパシニャン首相が、震源地に近いギュムリというアルメニア第二の都市を訪問し、「2年以内に被災地の問題を解決する」と述べました。というのも、震災から30年経った今も、家を失った多くの被災者が仮設住宅で暮らしているのです。私も見たことがありますが、老朽化した仮設住宅での生活はかなり大変そうでした。当時の復興予算が不正に使われたことも原因だそうで、本当に酷い話です。
このように革命前までの政府は、国民不在の腐敗した政治を行ってばかりで、地震の被災者など弱者に目を向けることはほとんどありませんでした。住居や家族を失った人たちが苦しい生活を強いられているというのに、30億円もの大金をすぐ払えるほど不正に蓄財してきた輩が幅を利かせるような社会だったんです。今日の選挙が、そんなアルメニアの社会を変える大きなきっかけになってほしいと願います。
東日本大震災の犠牲者のためにスピタクの町に建てられたハチュカル。私も黙祷を捧げたことがあります。30年前に起こった大震災の犠牲者の冥福を祈りたいと思います。
地震発生当時の悲惨な状況を捉えた映像。突然の自然災害で大切な人を失った悲しみを見ていると、胸が締め付けられます…
大地震をテーマにしたアルメニア映画「スピタク」。第91回アカデミー賞の外国語映画部門に出品されています。アルメニア人にとって決して忘れられない悲劇です。
- [2018/12/09 16:42]
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