私が考える日本語の特徴
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昨晩は雨がけっこう降りましたが、今日は朝から快晴。すっかり初夏の陽気で、多くの市民がTシャツなど薄着をしています。
さて、私は日本語教師を10年以上やっています。南米を旅行中に偶然コロンビアで仕事の誘いを受けたことがきっかけでした。当時はどちらかというと、海外に住んでみたいという好奇心の方が強かった気がしますが、結局それ以来ずっと日本語を教え続けています。収入面などで苦労が多くても、この仕事が気に入っています。
ある程度長くやっていると、自分なりに日本語について深く考えたり気づいたりすることがいろいろあります。なんせ日本語は相当ユニークな言語ですからね。先日それについて我が家にご滞在中の剣道の先生にお話したら、すごく興味を持って下さって、「面白いからブログにも書いてみたら?」と仰いました。
ということで、自分なりの日本語論を、アルメニアでの経験を交えながら時々ブログに書いていこうかと思っています。あくまで私個人の見解なので実際には間違っている部分もあるかもしれませんが、「そういう捉え方もあるのだなあ」という風に読んで頂ければ幸いです。
言語を学ぶ上で難しいのは、自分の母語と異なる独特の文字や文法。たとえば、漢字や複雑な助数詞などは、いつも学生たちにとって勉強が大変ですし、教える側だって同じです。まあ、全く違う言語と割り切って覚えてもらうしかありません。
教えている中で、私が興味深いと感じる日本語の特徴の一つは、言語使用の最も重要な目的が他の多くの言語と異なる点です。人が言語を使う主な目的は、状況を説明したり、意見や情報を伝達・共有したり、感情を表現したりすることですが、日本語は話者の感情表現に重きを置いている気がするのです。
たとえば、受身形の多用、「くれる」という授受動詞の存在、義務を否定文、不必要を肯定文で表すなどは、ただ状況を説明するだけでなく、話者の感情をなるべく伝えようとする日本語の特徴的な表現です。では、なぜ日本人はこれだけ感情を伝えることに拘るのか…それは、人の感情は複雑で理解も表現もしきれないという価値観が根底にあるからだと思います。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、たとえば日本人は、他者の感情については「~そうだ」などを使って断定することを避けますよね。感情というのは本人しか分からない複雑なものだからです。その機微をできる限り伝えようとするために、独特かつ多様な表現が生まれたのではないでしょうか。また、この価値観は言語だけでなく、日本の伝統文化や日本人の行動様式・習慣などにも深く関係しているように思います。
今回は大まかな話だけで長くなってしまいました…具体的なことは、これから時々ブログで書いていきたいと思います。
今回のテーマと関係ありませんが、息子の寝顔。日本語とアルメニア語という全く異なる言語を上手に使いこなせるようになるでしょうか…
- [2016/05/20 17:13]
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