アルメニアまでの経緯4 

今年もあと1ヶ月で終わりですね…さて、お知らせがあります。今週火曜日に日本のテレビに出演します。スカイプで5分ほど、アルメニアのチェスについてお話させて頂く予定です。どうぞご覧ください!

12月4日(火) 午後5時~5時49分
NHK・BS1 「ほっと@アジア」

ずっと私がアルメニアに住むことになった経緯を書いていますが、今日でこのシリーズは終わりにしたいと思います。

日本語を学ぶ学生たちと素晴らしい時間を過ごした私は、アルメニアが大好きになりました。ただの時間つぶしで訪れたのに、「いつか必ずまた来よう!」と思うほど、大切な国となりました。

15年前に見たグルジアビザ、同じ誕生日のグルジア人との出会い、思いがけない突然のアルメニア旅行、怪しいマレーシア人の一言、そして、学生たちとの出会い…全て偶然の出来事ですが、振り返ると、まるで予め決まっていた運命のように思えます。本当に人生って、からくりに満ちていて面白いですね。

ただ、当時の私は「世界中を旅する」という何より大切な目標があったので、後ろ髪引かれながらも、グルジアに戻り、旅を続けることにしました。グルジアへ向かうバスの中で、学生たちとの素敵な思い出に浸りながら、「ありがとう!きっと戻ってくるよ」と何度も心の中でつぶやきました。

グルジア人の友人とは、一緒に同じ誕生日をお祝いして、とても楽しい時間を過ごしました。この友人も、私の人生観を変えてくれた人なんですが、その話はまた別の機会に書くこととします。とにかく、グルジアとアルメニアが旅のハイライトの一つになったことは確かで、会う旅行者みんなに勧めていたのを憶えています。

その後も1年旅を続けて、私は帰国しました。アルメニアで出会った学生の何人かとは、手紙やメールで連絡を取り合ってはいましたが、その頃はまだ日本語教師になるなんて考えていなかったので、「いつかまた遊びに行きたいなあ」ぐらいに思っていました。それに、私には他に夢がありましたから…

その夢とは、ラテンアメリカ旅行!最初の長期旅行で、ユーラシア・アフリカ大陸を周ったので、次は中南米と決めていたのです。1年ほど働いてお金を貯めて、また海外へと旅立ちました。そして、当時たまたまコロンビアで日本語教師をしている知人がいたので、まず彼を訪ねることにしました。

コロンビア滞在中、その彼からある申し出がありました。「そろそろ帰国するつもりなんですが、僕の後、ここで日本語を教えませんか?」 私は驚くと共に戸惑いました。まだ旅が始まったばかりですし、簡単に承諾できない事情もあったのです。

しかし、世界一周も少し終わりが見え、どこか一箇所に住んでみたい気持ちもありましたし、日本語教師の仕事にも興味がありました。知人には、「とりあえず、南米一周する間に結論を出します」と答えて、旅を続けることにしました。半年かけて南米を一周しましたが、その間彼からの申し出を真剣に考えて出した結論は…「コロンビアで日本語教師をやってみよう!」

その2ヶ月後、私はコロンビアに戻り、日本語教師を始めました。資格も経験もなく、スペイン語も全くできなかったので、最初は苦労の連続でしたが、不思議と日本語教師の仕事が嫌になることはなく、「もっともっと頑張ろう!」という向上心が常にありました。仕事も面白いし、コロンビアという国も気に入って、「このまま永住しようか…」と考える時期もありました。

しかし、「日本語教師の仕事を本腰入れて続けたい」と思った時、なぜかアルメニアのことが強く心に蘇ってきました。「本気でこの仕事に取り組むのなら、アルメニアで教えたい」と思いました。その頃も、アルメニアには日本大使館もなく、日本人教師もいませんでした。そんな状況の中で勉強している学生たちのために、自分が何かできないか…という気持ちが自然に湧き上がってきたのです。

帰国して日本語教師の資格を取るため、2年半住んだコロンビアを去ることにしました。とはいえ、やはり私は根っからの旅好き、半年ほど旅をしながら日本に帰りました。その途中、自分の気持ちを確かめるべく、再びアルメニアを訪れました。今から6年前のことです。そこで、また日本語を勉強する学生たちと出会いました。

実は、その中に、のちに妻となる女性がいました。しかし、当時彼女は大学1年生で、日本語はまだまだでしたし、大人しい性格なので、正直あまり印象に残っていません。それはともかく、2度目のアルメニア訪問でも、ひたむきに頑張る学生たちを見て、私の心は決まりました。「やっぱりアルメニアに日本語を教えに来よう!」と…

なのに、実際に日本で勉強して資格を取り、さあアルメニアに行くぞ!という時に、急に怖くなってしまいました。というのも、アルメニアで日本語教師の月給はたったの50$…貯金を切り崩しながら生活するのは目に見えています。もう30歳半ばで、そんなリスクを背負ってまで行くべきなのか…本当に悩みました。

いろいろ悩んだ末、ちょうど募集していた国際交流基金の派遣プログラムに応募し、フィリピンに行くことになりました。自分にすると不本意な選択に思えたのですが、結果的に素晴らしい出会いに恵まれ、アルメニアで日本語を教えることにたくさんの勇気と応援をもらうことができました。やはり、起こること全てに意味があるんですね。

きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が私利私欲を捨てて人のために何かできるとしたら、アルメニアしかないんじゃないか、そして、それは神様が自分に与えた人生の宿題じゃないか…フィリピンでの様々な出会いを通して、そう強く感じたのです。

こうして3年前、私はアルメニアにやって来ました。旅行ではなく、日本語を教えるために…2年ほどで金が尽きて去ることになるだろうと思っていましたが、幸い今もここで教師の仕事を続けられています。家族もできて、恐らく長く住むことになるでしょう。

しかし、私は自分が選んだこの生き方に悔いはありません。ここまで自分を導いてくれた全ての出来事と出会いに感謝しています。

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6年前に出会った学生たちとの写真。この中に、当時学生だった妻がいます。彼らとも本当に素晴らしい時間を過ごしました。長くなりましたが、最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

コメント

すごいです。

アルメニア旅行を夢見て、ツアーに入るべきか個人にするか、迷いながら検索していたらこちらに来ました.有り難い情報もありますが、出会いの人生にちょっと感動しています。 取りあえず一言書きたかったのですが、又寄らせて頂きます。

ザ・フォーククルセイダースの「花のかおりに」を聞きながら拝見させていただきました。きっとこの後私の人生の中で何度も繰り返し読ませていただくと思います。私自信を照らし合わせながら読みました。読みながら今私が抱えている問題や悩みが想起してきました。そしてそれらの中のいくつかにたいする答えが、このたった4回の記事の中にありました。素晴らしい体験記をありがとうございました。長谷川様がこれからも素晴らしい人生を送られますように。

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