アルメニアまでの経緯1 

曇り空の天気が続いて、もうそこまで冬が来ていることを感じる今日この頃です。

さて、先日の日本語教師セミナーでも、「またどうしてアルメニアに?」という質問を受けました。これ、初対面の方には、ほぼ必ず聞かれる質問です。まあ、確かに疑問に思いますよね。政府派遣でも何でもなく、自分でアルメニアを選んで来たわけで、しかも80カ国以上も旅をして、なぜアルメニアなのか…

端折って説明することが多いので、今回は私がアルメニアに住むことになった経緯を書いてみます。

実は、私は元々グルジアにはすごく興味があったんですが、アルメニアには全く関心がありませんでした。ここでまた「なぜ、グルジアに?」という疑問を持つと思います。それは、15年前のある旅人との出会いがきっかけです。

私の学生時代というと、とにかくバイトして旅行するという生活でした。休みごとにバックパック一つ背負って海外に出ていたんですが、3年生の冬休みに中近東に旅立ちました。イスタンブールからカイロまで、中東諸国を巡る旅です。

出発点となったイスタンブールの安宿には、日本人の長期旅行者がたくさん滞在していました。面白い人ばかりで、毎日いろんな旅話を聞いているうちに、「自分もいつか長い放浪の旅に出よう!」と強く思うようになりました。

そして、一人の旅行者が見せてくれたのが、グルジアビザ。当時コーカサス諸国はかなりマイナーな地域で(今もか)、私なんかグルジアという国の存在さえ知らなかったぐらい。私は、「世界には、自分が知らない国がまだまだたくさんあるのか…グルジアという国も行ってみたいなあ」と好奇心が刺激されました。

その2年後、勤めていた会社を辞めて、貯めたお金で夢だった世界一周旅行に出ました。親にはかなり怒られましたけど…そりゃ、不況の中けっこう大きな企業に就職したのに、あっさり1年で辞めて、その理由が世界一周ですからね。しかも、帰国後のことは全く未定…怒るのも無理ありません。

それはさておき、船で上海に渡り、そこから西へ西へと旅して約1年経った頃、トルコに入国しました。そして、念願のグルジアへ向かったのです。その頃もほとんど情報がなかったので、一体どんな国か想像がつかず、期待と不安で胸が一杯だったことを覚えています。

グルジアは、当時まだ役人の腐敗がひどく、国境で賄賂を何度も要求されたり大変でしたが、一般の人々はとてもフレンドリーで親切でした。独特のグルジア文字、ソ連時代の面影、美しいトビリシ旧市街など、とにかく全てが新鮮で、私はすっかりグルジアが気に入りました。

しかも、天然の温泉が街中心部にあり、久々に熱い湯に浸かれるのが嬉しくて、毎日のように公共浴場に通いました。そして、温まった体で旧市街を散歩するのが日課になっていました。ある日、散歩の途中に公園のベンチで休んでいたら、隣のベンチのグルジア人男性に声をかけられました。

その中年の男性は、赤ちゃんを抱いた奥さんと一緒で、珍しく英語が話せます。「どこから来たのか」「観光で来たのか」といった他愛ない会話の後、彼が「すぐそこが僕らのアパートなんだけど、コーヒーでも飲まないか?」と誘ってくれました。

いい人そうだし、家族連れだし、まあ大丈夫だろうと、親切に甘えて彼のお宅にお邪魔しました。コーヒーをご馳走になっていると、彼が「日本人の旅行者なんて珍しい。もし良かったら、日本のパスポートを見てみたい」と言うので、見せてあげると…

「エーッ?!」と彼は驚いて、パスポートを覗き込んだ奥さんまで驚いた様子。いくら珍しいといっても、パスポートぐらいでそんな驚かんでも…と思ったんですが、彼に理由を聞いたら、私も「エッ!マジ?!」と驚いてしまいました。

と、ここまでで既に長くなってしまったので、続きは後日。気になる終わり方になってしまって、すみません…なるべく早く続きをアップします。

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初めて公園で出会った時の写真。当時生まれたばかりの赤ちゃんは、今12歳になっています。

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