サルダラパットの戦い
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毎日、寒いです。うちはシャワー以外はお湯が出ないので、洗い物がつらい…今は妻もやってくれますけど、いつでもお湯が出る家に住みたいもんですね。
さて、先月初めのことですが、、染織品の保存修復のワークショップで来られた方々が、サルダラパットのモニュメントと博物館を訪問されました。その時も妻が通訳をしたのですが、私もご一緒させて頂きました。
サルダラパットという地名なんて、聞いたことがありませんよね。しかし、アルメニア人にとっては、とても大切な場所。というのも、アルメニア人がトルコ軍と戦い抜き、国を死守した歴史的な場所なのです。
1918年、ロシア革命によって空白地帯となったコーカサスに、オスマントルコが侵攻しました。首都エレバンに迫ったトルコ軍を、サルダラパットでアルメニア軍と義勇兵が迎え撃ち、9日間の戦いの末に撃退しました。
圧倒的に有利なトルコ軍に立ち向かうため、知識人や女性までもが戦いに参加しました。この「サルダラパットの戦い」は、最も重大な出来事の一つとして、アルメニアの歴史に深く刻まれています。
「もしあの戦いでトルコ軍に負けていたら、アルメニアという国は、この世から消えていたかもしれない…」 これはある歴史家の言葉ですが、それほどアルメニアにとって重大な勝利だったわけです。しかし、その2年後に、エレバンはソ連赤軍によって占領されてしまいます。
ソ連時代に、サルダラパットには、戦いの勝利を記念して巨大なモニュメントと博物館も建てられました。アルメニアを救った戦い、そして命を賭けて戦った勇者たちを、いつまでも忘れないためです。エレバンから車で1時間ほどの所なので、機会があったら是非訪れてみて下さい。
モニュメントには、大きな牛の像と鐘楼が建っています。両側に立つ牛は、戦った勇者たちと彼らの勝利を表していて、今もアルメニアを守っているのだそうです。
中央に建つ鐘楼。戦いの9日間ずっと、大司教の命によって教会の鐘が鳴らされていたそうです。鷲の像は、戦いで亡くなった人たちの魂を表しています。
蛇と戦うペガサスの彫刻(左)。蛇は侵略者、ペガサスはアルメニアを表しています。戦いに参加した人たちの彫刻(右)。聖書を持つ神父や女性たちの姿もあります。
サルダラパットの博物館の展示物。けっこう立派な博物館で、戦争に関する資料の他に、美しいアルメニアの刺繍や絨毯なども展示されています。
- [2011/12/16 00:25]
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コメント
歴史に「もしも」は無いのだけれど、もし、アルメニアが抵抗せずにトルコに降服していたら、どうなったんだろう。
ちなみにブルガリアでは虐殺や弾圧はあまりなかったらしい。現に、ブルガリア文化は500年の占領下でも、生きつづけたわけで。
祖国を守るために武器をとって戦う、というのは、案外、一番安易な道に逃げているのかもしれない、とまで言ったら、アルメニア人には失礼かな。
ビロード革命のハベル氏が今日、亡くなったそうで。彼の言葉「武器のかわりに楽器をもて」を思い返しつつ。
Re: タイトルなし
サワムラさん
コメントどうもありがとう。今日アップしようと思って下書き状態だった記事に、偶然ハヴェル氏死去のことは書いていました。
北朝鮮の話題で(日本にとっては、あの国の今後の動向が気になるところから仕方ないけど)、すっかりマイナーニュースになってしまいましたね。
同時期にトルコによる大虐殺があったから、サルダラパットの戦いについて、アルメニア人にとっては民族浄化や国土消失の危機を免れたという思いが強いのでしょう。そのトルコとは、今も犬猿の仲だし…
でも、争いがなく平和なのが一番。日本という国のどこが誇れるとしたら、「平和」なことかもしれません。あの大戦の後、この平和を守り続けたこと。
そんなテーマについて、ブログに書いたことがあるから、読んでみてください。
http://tabiari.blog95.fc2.com/blog-entry-77.html
ではまた。
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