虐殺の犠牲者の記念日 

今日4月24日は「虐殺の犠牲者の記念日」。虐殺という悲惨な歴史を持つアルメニア人にとって最も重要な日の一つです。1915年イスタンブールでアルメニア人活動家たちが殺された4月24日は、虐殺が開始された記念日とされています。アルメニア人虐殺については、過去の記事をご覧ください(こちら)

テレビでは虐殺についての番組を流し続けていて、前夜はキャンドルを持った若者たちが、エレバン中心部から虐殺記念碑までの道のりを歩きました。雨が強く降っていましたが、その中を大勢の人達が歩いているのをテレビで見ました。まるで空までが涙を流し、アルメニア全体が喪に服しているようでした。

当日の今日は、更に多くのアルメニア人たちが慰霊のために記念碑を訪れます。多くのアルメニア移民たちも、この日のために祖国に戻ってきているそうです。私も友人と一緒に行ってきました。午前中まで雨は降り続いていましたが、私たちが行った午後には止みました。記念碑は郊外の丘の上に建っていて、麓から歩いて向かいます。麓に着いたときには、既に長い長い列ができていました。

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記念碑の麓では、たくさん花が売られていて、私たちもそこで買いました。記念碑までの道は、多くのアルメニア人で埋め尽くされていました。

友人と話しながら、ゆっくりと記念碑まで歩きました。道の所々に設置されたスピーカーから悲しい音楽が流され、否が応でも重々しいムードが漂います。「人が多いから1時間以上かかる」と聞いていましたが、午前中の雨で人が少なかったせいか、40分ほどで着きました。記念碑の周りには、すでに無数の花が捧げられていました。

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記念碑までの長い行列。思ったよりも早く着きました。記念碑の周りの花々(右)。

記念碑の中心には慰霊のための火が灯されていて、人々は次々とその周りに花を置いていきます。そして十字を切り胸に手を当てて、虐殺の犠牲者のために祈るのです。切れることなく花と祈りが捧げられていきます。私もそんなアルメニア人たちと共に花を捧げたら、少し悲しい気持ちになりました。

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記念碑では、多くの人々が花を捧げて祈っていました。燃え続ける火の周りは、無数の花で飾られて大変美しかったですが、厳粛で重々しい空気が流れていました。

たくさんのテレビ局も取材に来ていて、外国人で珍しいからか、私は2回取材を受けました。どちらも、「どうしてここへ来たのか?」「虐殺は事実だと思うか?」という質問でした。私は、「アルメニアが好きだし、住んでいるので、この国の悲劇を記念する行事に参加したかった」「多くの人が殺されたことは事実だと思う」と答えました。

多くのアルメニア人にとって、今日は犠牲者のために祈ると同時に、トルコの蛮行を思い返し、民族意識が高揚する日なのかもしれません。トルコ政府は、いまだに虐殺を認めず謝罪していませんから。しかし第三者の私にとって、今日は人間の愚かさを思い返し、同じ悲劇を繰り返してはいけないと誓う日ではないかと思います。

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虐殺の犠牲者のためにも、早く憎しみや争いのない平和な世界になってほしい…今日アルメニア人たちと共に記念碑を訪れて、改めてそう強く思いました。(関連記事)

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