「アルメニア友の会」解散のご報告
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今朝からアレンは何度か嘔吐したので学校を休ませました。熱はなく、元気にはしているので風邪ではないようです。先々週は急に発熱したし、最近よく体調を崩します。早く元気になってほしいです。ちなみにレオは「僕だけ学校に行くのイヤー!」と泣くから、元気なのに学校を休んでいます…
カタールのW杯、なんとサウジアラビアがアルゼンチンに逆転勝ちという大波乱が起こりました。マジですごい!VAR判定が厳しすぎて少し違和感が残りましたが、それでもサウジは強かったと思います。今日は日本とドイツの試合が行われます。サッカーは何が起こるか分かりませんから、白星を目指して頑張ってほしいですね。
今日はエレバンでCSTOサミットが開催され、プーチン大統領も出席します。2年前の第二次カラバフ戦争以降、初となるプーチン大統領のアルメニア訪問。パシニャン首相と個別で会談を行い、カラバフ問題やアゼルバイジャンとの平和条約締結、輸送ブロック解除などについて話し合われる予定です。
さて、7月のブログ記事(こちら)にも書きましたが、今回改めて私が有志の方々と運営する「アルメニア友の会」の解散についてご報告したいと思います。本会が活動してこれたのは多くの方々のご協力のお陰ですから、感謝を込めて一つの記事にするつもりでいました。
本会の前身は「アルメニアに本を送る会」で、2009年4月24日に発足しました。奇遇にもアルメニア人虐殺記念日と同じ日。アルメニアに日本の図書を送って文化センターを作りたいという私の思いに共感してくれた方々と大阪で集まり、そこで会の設立が決まったのです。長くなりますが、私がそんな活動をしたいと思うようになった経緯から書いていきたいと思います。
2008年の夏から10か月間、私は国際交流基金のプログラムでフィリピンのダバオに派遣され、そこにあるミンダナオ国際大学で日本語を教えていました。フィリピンの日系人支援などを行っていた日本フィリピンボランティア協会というNGOが設立した大学で、日本語が必須科目として教えられています。いつも弁論大会で入賞者を出すなど、優秀な人材を数多く輩出しています。
そのダバオでの仕事や生活は楽しく充実したもので、素晴らしい出会いにも恵まれました。一緒に教えていた同僚から、「派遣プログラムが終わってからも残ってほしい」と懇願され、心が動いた時期もありましたが、アルメニアで日本語を教えたいという決意は変わりませんでした。なぜ私がそこまでアルメニアにこだわっていたかついては、過去の記事をご覧ください(こちら)
ちなみに、当時アルメニアで日本語教師をやっても月給はたったの50ドル…家賃さえ払えない薄給で、貯金を切り崩しながらの苦しい生活になってしまうため、経済的にアルメニアにいられるのは1年か2年が限界だろうと覚悟していました。それでも自分の夢を叶えるためだと前向きに考えていましたが、「本当にそれだけでいいのか?」と次第に自問自答し始めました。
たとえ短い間でもアルメニアで日本語を教えたら、私自身は夢が叶って満足でしょう。でも、日本語を勉強する学生たちはずっといる…そう考えると、自分がやろうとしていることは、どこか自己満足で終わってしまうような気がしたのです。そんな時に、ミンダナオ国際大学の設立に大きく貢献した日本人男性とダバオで出会い、当時の苦労話などを聞く機会がありました。
海外でゼロから大学を作る大変さに驚くと同時に、「彼のような人が頑張って作った大学で、僕は日本語を教え、多くの学生が学んでいる。彼が残したものが今も役に立っているんだ!」と強く胸を打たれ、自分がいなくなった後も残るような何かをアルメニアに作らねば…と考え始めました。そして、当時まだ日本大使館もなかったアルメニアに、日本語や日本の情報に触れられる文化センターを作ろうという目標ができました。
その思いをミンダナオ国際大学でボランティアとして日本語を教えていた方に何気なく話したら、「そんなこと一人では実現できない。私に協力させてほしい」と言ってくれました。実際にすぐ日本のご家族や知人らに連絡してくれて、フィリピン派遣が終わってから大阪で集まることになりました。この急な展開には戸惑いましたが、自分の思いに共感して協力を申し出てくれる人たちに出会えたことはまさに奇跡だったと思います。
フィリピンから帰国してから有志の方々と大阪で集まり、先述の「アルメニアに本を送る会」が発足しました。その2か月後に私はアルメニアに渡航し、日本語を教えながら、センター開設に向けて動き続けました。ほとんど知られていないアルメニアのために活動する小さな民間組織にも関わらず、役員や会員、多くの方々のご支援のおかげで、2011年初夏にエレバンに日本文化センターを開くことができました。文化イベントを開いたり、現地メディアに取り上げられたりして、利用者も少しずつ増えていました。
しかし、残念なことに、開設から半年後に諸事情により閉鎖することになってしまいました…こちらが問題を起こした訳ではないので、なんとか継続できないかと試行錯誤しましたが、当時の状況ではセンターの運営を続けるのは困難と判断せざるを得ませんでした。私と役員にとっては苦渋の決断で、ご協力いただいた方々には申し訳ない気持ちで一杯でした。
寄贈された図書が並ぶ当時の日本文化センター。いろいろ大変だったけど、なんとか開設することができました。
開設セレモニーの様子。写真左端にいるのは、元アルメニア柔道連盟会長で、私たちの結婚式の仲人。当時所有していた建物の一部を文化センターのために無償で貸してくれました。今も交流が続いています。
開設後には、現地メディアの取材も受けました。まだ結婚前でしたが、妻が文化センターの受付事務を務めてくれていました。
文化センターでは、どら焼き作りなど日本文化を紹介するイベントを開催しました
会の活動をネットで知った片岡さんは、地元・香川の高校生たちと集めた本を寄贈してくれました。それがきっかけで、私と片岡さんが繋がりました。
本はエレバンにあるヨーロッパ大学にも寄贈しました。日本文化イベントを開き、親友の聖美さんも参加。会の活動を通じて、聖美さんとも繋がりました。
初年度の日本での活動報告会。役員や会員の方々、片岡さんたちが参加してくれました。
2012年春に会の役員や支援者の方々がアルメニアを初訪問
アルメニア人虐殺記念日に一緒に献花しました。写真右が濱田会長、左がフィリピンで私に協力を申し出てくれた大本さん。お二人には本当にお世話になりました。
別の場所で新たに文化センターを開設するのも難航したため、集まった本は少しでも活用してもらえるよう図書館や大学、ヒカリセンターなどに寄贈し、今後の会の活動について役員の方々と検討を重ねました。そして、日本語を学ぶアルメニア人学生を日本に招聘する活動を始めることになり、2013年に2人の学生を招聘しました。また、2014年には会の名称を「アルメニア友の会」に変更しました。
コロナ禍前の2019年までの間に、計6名の学生を日本に招聘することができました。みんな日本語を熱心に勉強しているけど、日本に行ったことがない学生たち。だから、誰もが初訪日を心から喜び、一生思い出に残る素晴らしい時間を過ごしたようです。その経験がきっかけになり、何名かは後に留学などで日本を訪れ、さらにその中には日本人と結婚した人たちもいます。小さな会の活動が、学生たちの夢を叶え、人生まで変えることになろうとは…
今後も学生たちの訪日の夢を叶えるお手伝いをしたかったですが、コロナで招聘活動が困難なこと、また役員の方々がみな高齢で体力的に難しくなったため、今年をもって解散することになりました。とても寂しく残念に思います。しかし、この13年間、アルメニアと日本を繋ぐ活動を地道に続けられたことを誇りに思います。いろいろ大変なこともありましたが、それ以上に喜びや幸せを感じる瞬間がたくさんありました。
私たちの帰国に合わせて7月に開かれた解散会に出席し、久しぶりに役員の方々とお会いしました。そして、心から感謝の気持ちを何度も伝えました。「アルメニアにずっと残るものを作りたい」という私の思いから会が発足し、アルメニアに図書を送ったり、学生を日本に招待することができたのは、偏に協力して下さった役員や会員の方々のお陰です。その温かい善意には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!
私は結局アルメニアを去ることなく住み続けていますが、会の活動によって、自分一人では決して成し遂げられない多くのことを実現することができました。たとえ最初は一人でも、たとえ不可能に見えることでも、強い思いがあれば、自然に人が集まって道は開けていく…その大切なことを信じられるようになりました。
振り返ってみると、フィリピンでの偶然の出会いから始まった会の活動…ここまで導いてくれたすべてのご縁や出来事に感謝です。会は解散しましたが、もしその意思を継いでくれる人がいれば、同様の活動をいつか再開したいと思います。
多大なるご支援・ご協力いただいた方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました!
センター閉鎖後、本はヒカリセンターなどに寄贈しました
記念すべき第1回目の招聘プログラムで訪日した学生たち。写真左側の学生は後に留学し、今年日本人と結婚しました。
第2回目の招聘プログラムで訪日した学生たち。中央の学生は後に留学して、今も日本で研究や仕事を頑張っています。左端の学生は、後に日本人と結婚して、私と妻が式の仲人を務めました。先日、子供が生まれたそうです。
第3回目の招聘プログラムで訪日した学生。後に国際交流基金のプログラムで日本に6か月滞在しました。いろはセンターの教師・事務員を務めています。
第4回目の招聘プログラムで訪日した学生。その後、彼女は優秀な成績で大学を卒業しました。
今年7月に京都で開かれた解散会。役員や会員の方々のお陰で、素晴らしい活動を行うことができました。皆さんと繋がれたことを誇りに、そして幸せに思います。本当にありがとうございました!
- [2022/11/23 16:42]
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