停戦合意から1か月半のアルメニア 

昨晩から降り続く雪が積もって、朝起きると外は銀世界になっていました。子供たちも大喜びで、レオは幼稚園で雪遊びをしたようです。寒いけど、その美しさと静けさに心が落ち着きます。今年もあと1週間ほどですね。

英国などでコロナの変異種の感染拡大が問題になっているようです。重症化率や致死率の変化についてはまだ分からないようですが、感染力が従来型より70%も強いと報道されています。そのため、欧州ではロックダウンが再開され始めています。今年は本当にコロナで始まってコロナで終わるという感じですね…

当初からコロナは感染力が強いウイルスとされていますが、私はそれを「移動力」と考えています。というのも、ウイルスが付着しただけでは感染とは言えず、私たちは常に周りに様々なウイルスが存在する中で生きていますが、本来の免疫や抵抗力で撃退して感染に至らずに済んでいます。しかし、PCR検査では粘膜に付着しているだけでも陽性扱いになることが多いため、調べれば調べるほど「感染者」は増え続けます。それを「感染力が強い」と表現することには違和感を感じるのです。

さて、停戦合意からちょうど1か月半が経ちました。戦没者への服喪期間が月曜に終わり、昨日は野党グループ「救国運動」が全国規模のデモを行いました。かなり大人数が共和国広場に集まったという報道もあれば、実際にはそれほどではないという報道もあり、情報ソースによって大きく違いがあります。とりあえず国全体が混乱するほどの騒動にはならなかったようです。

また、前回の記事に書いたように、アゼルバイジャンと国境を間近に接することになり、安全の問題が危惧されている南部地方をパシニャン首相が月曜に訪問しました。いくつかの街や村は住民が道を封鎖して訪問できなかったようですが、シシアンという街の住民とは対話したようです。

その際に話題になったのは、シシアンにある教会の神父がパシニャン首相との握手を拒んだこと。その情報や映像が流れて、パシニャン首相の支持者と反対する市民とがネット上で激しくやり合っていました。停戦後からずっとこんな感じで、見ていて気が滅入ります。いろんな意見を自由に表明できること自体は良いのですが、お互いに自分が信じたいことだけ信じ、見たいだけことだけ見て、聞きたいことだけ聞いて、意に反するものは決して認めようとせず、感情的に批判し合う状況は問題です。

戦争中、私が辛かったのは人の死と悲しみ、そして憎悪と不信感の連鎖、盲目的なナショナリズムや自己肯定、排他的かつ不可逆的な社会の空気でした。その偏った空気の中で、どこか葛藤や苦悩を抱えながら、私はアルメニア側からの情報を発信していました。当時はアゼルバイジャンと戦っていたので仕方なかったかもしれませんが、停戦後も、国内では同じような状況が続いているように感じています。

もちろん今も、国内情勢に関するニュースはいつも見てはいますが、周りのアルメニア人と政治的な話はなるべくしないようにしています。センシティブな話題であることも理由ですが、異なる意見や不都合な情報に対して冷静に耳を傾けられないのであれば、お互い平行線のままで終わるし、相手が感情的になるだけで話す意味がありません。

なので、私はただ情勢を冷静に見守るように努めています。アルメニアに10年以上住み、アルメニア人と結婚しているとはいえ、所詮は外国人の立場ということもありますが、「歴史の必然の展開は、人間の理解を待たない」という自分なりの哲学もあるからです。これは、作家の小松左京氏が京大生時代に先輩から聞いた言葉だそうで、一つの真実を端的に言い表しているように私は思います。

人生と同じく歴史において起こる出来事の多くは、様々な要素が絡み合い、必然的に起こっています。今回の戦争も、このタイミングで起こるべくして起こったと言えるでしょう。そして、その結果についても同様です。多くのアルメニア人にとって納得できないものであっても、歴史というのは、人間の価値基準や判断などとは関係なく、常に動き続けているのです。結局のところ人間は、後で振り返って評価したり、反省したり、また理解するしかできません。

こう書くと、全て仕方ないと諦めているかのように思われるかもしれませんが、決してそういう意味ではありません。私たちがただ前にしか進めないのであれば、すでに起こってしまったことは必然だと受け止め、今は冷静に考えて行動すべきだと言いたいのです。見聞きする情報に振り回されず、自分が信じ込んでいるものは本当に正しいのかと立ち止まること、そして異なる意見も尊重し、建設的な議論ができるような寛容さを持つこと。国の重大な局面にある今、それはとても大切なことではないでしょうか…

実際に戦争を経験して、これほど悲惨なものはなく、絶対に起こってはならないと痛感しました。しかし、ずっとアルメニアはそのリスクの中に存在してきたことは事実です。毎週のように兵士が前線で死に、数年に一度は大規模な軍事衝突が発生していました。そう考えると、やはり今回の戦争は歴史の必然だったと言えます。そして、それが必然であるならば、私はこの変化に対してもどこか希望を持ち続けたいし、アルメニア人はきっと乗り越えられると信じています。だから、今後も情勢を冷静に見守っていきたいと思います。

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昨晩から雪が降り積り、エレバンは銀世界になりました。

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日曜はエレバン中心部に家族と出かけて、教会に立ち寄りました。

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服喪期間だったので、戦没者の慰霊のために祈りを捧げました。

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レオが妻のセーターの中に潜り込んで、三人目を妊娠したかのような姿に!大変な1年だったけど、いつも子供たちの無邪気さに心癒されました。

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