アルメニア人にとってのナゴルノ=カラバフ 

先週末からエレバンは天気が不安定で、朝晩はけっこう肌寒くなってきました。木の葉も色づき始め、秋の訪れを感じます。今の混乱など関係なく、季節はいつものように巡っています。

軍事衝突発生から今日で9日目ですが、依然としてナゴルノ=カラバフとアゼルバイジャンとの境界線では激しい交戦が続いています。アルメニア国防省の発表によると、首都ステパナケルトやシューシなどの街が、アゼルバイジャン軍の砲撃を受けているそうで、民間人への被害拡大が危惧されます。

昨日は、アゼルバイジャン領内のギャンジャ空軍基地を破壊したという発表がありました。しかし、アゼルバイジャン側はこれを否定し、ギャンジャの市街地に被害が出たと述べています。戦時で双方からの情報が錯綜しており、事実確認は困難ですが、いずれにしても民間人を巻き込むほど激しい戦闘になっていることは確かです。


攻撃を受けているステパナケルトの取材映像。市民の不安と恐怖が伝わります…

また、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は、「ナゴルノ=カラバフはアゼルバイジャン領土であり、アルメニア軍が撤退するまで軍事行動を続ける」という声明を出しました。一方、アルメニア人の間では、ナゴルノ=カラバフの独立を国際的に認めさせようという動きが活発化しています。

というのも、ナゴルノ=カラバフ共和国は、国際社会では未承認の国だからです。実は、アルメニアも公式には独立国家として承認しておらず、同地域の住民の意思を尊重すべきという立場を取っています。しかし、今回の軍事衝突で、これまでにないほど同地域の安全が脅かされているため、アルメニア政府は公式に独立を認める可能性を示唆しています。

恐らく日本を含め世界中では、このナゴルノ=カラバフ紛争について、アルメニアとアゼルバイジャンの領土を巡る争いと報道されているはずです。確かにその領有権を争って対立しているのですが、アルメニア人にとって、それは領土以上のものなのです。その点も含めて、今回はナゴルノ=カラバフという地域について説明したいと思います。

ナゴルノ=カラバフのことを、アルメニア人は「アルツァフ」と呼んでいます。これは、紀元前1〜2世紀に存在した大アルメニア王国の一州だった時の名称で、ナゴルノ=カラバフは「高地のカラバフ」という意味のロシア語です。そのため、アルメニア人にとって、自分たち民族の歴史に由来がある「アルツァフ」の方が正しい名称となっています。

上に書いたように、2000年以上前から、その地域にはアルメニア民族が住んでいました。当時カスピ海から黒海、地中海にまで及んだ大アルメニア王国の存在含め、それは歴史的事実となっています。古代ローマやギリシャの記録からも、当時すでにその地域にアルメニア民族が居住し、アルメニア語が話されていたことは明らかになっています。

その後も、同地域はアルメニア系住民が大半を占め、アルメニア文化が花開きました。4世紀に建てられたというアマラス修道院、中世のアルメニア建築の傑作と呼ばれるガンザサール修道院やダディ修道院など歴史遺産も数多く残されています。

このように歴史的にはアルメニア民族の土地であるにも関わらず、ソ連時代の1921年、スターリンがアゼルバイジャンへの帰属を決め、この決定が現在まで続く紛争の原因となりました。元々はその前年からアルメニアへの帰属が決まっていたのですが、トルコを懐柔するため、またアゼルバイジャンからの反発を受けて、スターリンが恣意的に決定を覆してしまったのです。

そういった経緯でアゼルバイジャン領内の自治州となりましたが、人口の70%を占めるアルメニア系住民は、たびたび中央政府にアルメニアへの編入を求めました。その動きは、ペレストロイカなどの自由化政策が開始された頃から活発化し、アゼルバイジャン系住民との衝突、アゼルバイジャン軍による弾圧などが深刻化し始めました。

そして、同じ民族の保護と支援のためにアルメニアが介入し、両国の全面戦争へと発展しました。ソ連崩壊後の1992年、ナゴルノ=カラバフ自治州政府は、アゼルバイジャンからの独立を問う住民投票を行い、アルメニア系住民のほとんどが賛成票を投じた結果、「ナゴルノ=カラバフ共和国」として独立を宣言しました。

その後もアルメニアとアゼルバイジャンとの激しい戦争は続きましたが、戦局はアルメニア優位で進み、ナゴルノ=カラバフ地域周辺の土地も占拠しました。そして、1994年に停戦合意が締結されました。両国の戦闘は6年に及び、約3万人が亡くなったと言われています。

簡単に歴史をまとめましたが、上記からも分かるように、ナゴルノ=カラバフは、アルメニア人にとって単なる領土ではなく、民族の長い歴史の一部であり、文化であり、アイデンティティなのです。そのため、今回のように衝突が発生した際には、多くの男性が我先にと従軍を志願します。また、ナゴルノ=カラバフの住民も、どれだけ戦火が激しくなっても、「死んでもここから逃げない」と言って留まる人が多いそうです。この死も厭わないアルメニア人の士気の高さが、30年前の戦争で事実上勝利した要因の一つと言われています。

とはいえ、アゼルバイジャンにとっても、ソ連時代の約70年間は自国領土であり、それを戦争によって完全に失い、多くの難民が発生したため、簡単に諦められるものではないでしょう。長い短いに関わらず、向こうもまた、ナゴルノ=カラバフは自国領だったという歴史認識を持っているはずです。加えてアリエフ独裁政権による偏ったプロパガンダや教育で、多くの国民はアルメニアに対して激しい憎悪と執念を抱いています。

ここまで書いてから、やはり根が深くて難しい問題だな…と改めて認識し、暗澹たる気持ちになりましたが、とにかくアルメニア人にとって、これは単なる領土問題ではないということです。ナゴルノ=カラバフは、天然資源などない山岳地帯ですが、アルメニア民族の大切な歴史と文化が刻まれた場所なのです。そういった背景を理解しなければ、今回の軍事衝突の本質は見えてきません。

領土問題をゼロか百か、白か黒かという前提で解決するのは難しく、もちろんナゴルノ=カラバフ紛争も例外ではありません。また、ロシアやトルコなどの思惑も絡んでいるため、さらに複雑な問題となっています。しかし、アルメニア人にとって、これは土地の領有権の争いというより、民族アイデンティティを賭けた闘いと言えます。

そのために多くの兵士が必死で戦っています。そして同時に、多くの命が失われています。それはアゼルバイジャンとて同じこと。この悲劇の連鎖を止めることはできないのでしょうか…戦争ほど悲惨なものはなく、平和ほど尊いものはありません。とにかく一刻も早い事態の収束を願っています。

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私は二回ナゴルノ=カラバフを訪問したことがあり、2年前に片岡さんたちとドライブ旅行をしました。写真は9〜13世紀に建てられたダディ修道院。

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内部の壁画が有名で、とても神秘的な雰囲気に満ちていました。

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13世紀に建てられたガンザサール修道院。見晴らしのいい山頂に建つ荘厳な教会です。

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修道院の窓から差し込む光が神々しかったです。

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首都ステパナケルト近くにある「我らの山」の像。カラバフに住むアルメニア人を象徴しているそうです。

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30年前の戦争の激戦地で、現在また砲撃を受けているシューシの街に建つガザンチェツォツ大聖堂。追記:10月8日にアゼルバイジャン軍の砲撃によって一部損壊しました…

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ナゴルノ=カラバフの自然は本当に美しく、また行ってみたい場所。まさか今、こんな深刻な状況になってしまうとは…

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ナゴルノ=カラバフは食事やお酒もすごく美味しかったです。片岡さんたちと楽しい時間を過ごしました。早く平和になってほしいと思います。

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