アルメニア人の優しさに触れた出来事 

最近また気温が上がってきて、日中は30℃近くあります。朝晩は肌寒いから長袖を着ているんですが、それだとちょっと暑い…着るものに困る時期ですね。

そういえば、ボルトン大統領補佐官が更迭されました。「これまで多くの意見対立があった」とトランプ大統領は述べましたが、私は、やっぱりなーと特に驚きませんでした。ボルトン氏は根っからの強硬なネオコンですが、トランプ大統領は、自国中心主義を掲げて、好戦的で過激なことを主張しつつも、実は世界の多極化を推し進めているのでは…と思える節があります。ボルトン氏が外れた今、その流れにもっと拍車が掛かるかもしれませんね。

さて、昨日のことですが、日本語の授業を終えてバス停まで歩いている時に、アルメニア人のおばあさんが街路樹に手をついて苦しそうにしているのを見かけました。心配になって、「大丈夫ですか?」と尋ねると、「この交差点を渡った先に家があるから、できれば連れて行ってほしい」と言いました。おばあさんは杖を持っていたので、足腰が弱い上に急に気分が悪くなったのでしょう。

腕を持って支えてあげながら交差点をゆっくりと渡りましたが、おばあさんはまた息苦しそうに立ち止まってしまいました。すると、近くにいた女性が、「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくれました。とりあえず二人でおばあさんを支えながら、閉まっているお店の入り口前にある階段に座らせましたが、胸を押さえて苦しそう…

背中をさすったりして介抱していると、道行く人たちが、「どうしたの?大丈夫?」と心配して立ち止まってくれます。道の反対側にあるブティックの店員まで駆け寄って来て、「気分が悪いの?私のお店で休んだら?」と言ってくれました。他の人たちも、「病院に電話しようか?」「家族に電話しようか?」と声をかけて、わざわざお水や薬を買って持って来てくれる人までいました。

おばあさんは親切に感謝しつつも、「大丈夫。ちょっと気分が悪くなっただけで、少し休めば良くなるから。家はすぐそこだし、家族は今エレバンにいないから連絡しなくていい」と言います。それでも、みんな心配でそこから去ろうとしませんでしたが、おばあさんが立ち上がったので、私が家まで連れて行ってあげることにしました。

転ばないよう支えながらゆっくり歩いてアパートの部屋の前まで辿り着くと、おばあさんはホッとした笑顔で、「もう大丈夫。本当にありがとう。助かった」とお礼を言いました。近所の人がおばあさんに話しかけるのを見て安心した私も、「お大事に」と言ってお別れしました。

とにかく、アルメニア人の優しさに改めて感心する出来事でした。首都の中心部で、すぐに人々が心配して声をかけてくれる、そして水や薬まで買って来てくれるんですから、その優しさに心が温かくなりました。そういう社会に長く暮らしているから、私も自然におばあさんに親切にできたのかもしれません。

ちなみに、十数年前に東京で同じような状況に遭遇したことがあります。当時、私は3年ほど住んだ南米コロンビアから帰国したばかりでした。友人と新宿を歩いている時に、初老のおじさんが道に座り込んでいて、奥さんらしき女性が隣でオロオロしていました。駆け寄って、「大丈夫ですか?」と声をかけると、「ちょっと胸が苦しくなって…」と言うので、近くのベンチに友人と連れて行って座らせてあげると、おじさんと奥さんは、「誰も助けてくれなくて困っていた。本当にありがとう」と感謝していました。

これも、その直前までコロンビアに住んでいたから自然にできた親切だったように思います。私が住んでいた頃のコロンビアはまだ治安が悪くて、ゲリラやコカインなど悪いイメージばかりが先行する国でしたが(最近ゲリラが武装闘争を再開したらしいけど…)、一般の人々はとても情に厚く親切で、困っている人がいたら、すぐに誰かしらが親身になって助けようとする文化がありました。もしコロンビアで同じように道で誰かが苦しそうにしていたら、すぐに数人が駆け寄って助けてくれたでしょう。

もちろん、昨日のエレバンでの出来事や十数年前の東京での出来事だけで、アルメニア人やコロンビア人に比べて日本人は冷たいと決めつけることはできません。幸い、私は日本でも親切な人たちをたくさん知っています。ただ、帰国するたびに私も妻も、今の日本はお互い他者には関心がなく、当たり前の親切や情というものが希薄になっていないか…と感じることがあります。

これは社会が発展して便利になると避けられない変化かもしれず、今後アルメニアも変わっていく可能性がないとは言えません。実際にバスの中で老人に席を譲ろうとしない若者を見かけるようになりました。しかし、旅や海外生活などを含む様々な人生の経験、また多くの素晴らしい出会いを通じて私が分かったのは、「人を救えるのは人しかない」 ということ。

どんな時代や社会でも、自分の力だけで生きている人はいないし、たとえ見えなくても常にお互い支え合って、どこか甘えたり迷惑かけたりしながら暮らしています。そのことを分かっていれば、人は自然に優しくなれるのではないでしょうか…昨日のようなアルメニア人の優しさがいつまでも変わってほしくないと思います。

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いろいろ不便や苦労が絶えませんが、今は人の繋がりや優しさに囲まれたアルメニアの社会の中で子供たちを育てたいと思っています。

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