激動するカラバフ情勢
今日は次男レオの7歳の誕生日です。カラバフを巡る問題でアルメニア情勢が混迷しているため、妻は当初、「今年は家族だけで大人しくお祝いしようか」と言っていましたが、それではやっぱりレオが可哀想…ということで、例年通り、学校や近所のお友達と一緒に楽しくお祝いすることにしました。
もちろん、故郷を捨てて避難民となったカラバフの人たちのことを思うと、私も明るい気持ちにはなれません。しかし、どれだけ辛く悲しいことが世の中で起こっていても、なるべく子供たちはそんな現実から無縁な世界で、いつも無邪気に幸せに暮らしてほしいと思っています。
友達と7歳の誕生日をお祝いするレオ。おめでとう!
フィリピンから来ている大輔さん、そして大輔さんが経営する会社の役員である石井さんと一泊二日でアルメニアを南部を旅行して、一昨日エレバンに戻ってきました。日本でワインを作る予定の石井さんの希望で、ワイン産地やワイナリーを訪問しました。美しい修道院なども訪問して、とても楽しい二日間となり、「アルメニア、本当によかった!」と石井さんも言ってくれました。
ドライバーの提案で、二日目はタテヴ修道院まで足を延ばしたのですが、その道中、家財道具を積んだカラバフからの避難民の車をたくさん見ました。彼らはカラバフからアルメニア南部の街ゴリスに入り、そこからエレバンなどに向かっているのです。その避難民の数は10万人を超えたという情報があり、これはカラバフの人口の8割以上。あと数日でカラバフからアルメニア系住民はいなくなるでしょう…
首都ステパナケルトからアルメニア国境まで、通常であれば車で2〜3時間ほどですが、今は険しい九十九折の山道に延々と続く長い渋滞ができ、さらにアゼルバイジャンが設置した検問所で一台一台チェックされるため、なんと一日以上もかかるそうです。幼い子供や老人もいるというのに…その過酷な道のりを想像するだけで心が痛みます。
また、やっとの思いでアルメニア本土に辿り着いてからも、住居や仕事、また子供の教育など、今後の生活への不安を誰もが抱えています。アルメニア政府は、避難民をすべて受け入れ、その保護や支援に尽力することを表明していますが、運べるだけの家財道具を積んで移動する避難民たちを実際に見た時に、彼らの置かれた厳しい状況に胸が締め付けられる思いがしました。
家財道具を車に積んで移動するカラバフの避難民
とにかく、ここ数日間はアルメニアとカラバフの情勢が目まぐるしく変わり、理性や感情がほとんど追いつけない状態で、今まさに歴史の大きな転換点にいることを痛感します。そのほとんどはアルメニアにとって悲しい出来事でしたが、主なものを以下にまとめます。
9月27日、ナゴルノ=カラバフ共和国の元国務大臣で、事業家また慈善活動家として知られるルーベン・ヴァルダニヤン氏が、アルメニア本土に出国中にアゼルバイジャンに逮捕されました。テロ支援や不法逃亡などの容疑で拘束されているそうです。同氏は、2022年に同共和国に移住しました。
9月28日、ナゴルノ=カラバフ共和国のサンベル・シャフラマニャン大統領は、全ての行政機関や団体を来年1月1日を以って解体する大統領令に署名しました。これは、同共和国の存在が事実上消滅することを意味します。
9月28日、アルメニア議会の常任委員会が、国際刑事裁判所(ICC)ローマ規定の批准を全会一致で採択しました。今後、議会で批准の是非が検討されます。しかし、ICCが今年3月にプーチン大統領に逮捕状を発効したため、ロシアはこのアルメニアの動きを強く牽制しています。
9月29日、カラバフ共和国とアゼルバイジャンの代表団が、アゼルバイジャン中部のエブラフで、カラバフのアゼルバイジャンへの再編入などに関する3回目の会談を行いました。
9月29日、ナゴルノ=カラバフ国防軍の元第一副司令官ダビット・マヌキャン少将がアゼルバイジャンに逮捕されました。テロ行為や武器密輸、不法逃亡などの容疑で拘束されているそうです。
先週のアゼルバイジャンの軍事行動以降、あまりに情勢の変化が激しいため、今後のことを予想するのは難しいです。しかし、アルメニア系住民がいなくなり、政府組織も解体することから、カラバフがその歴史に終止符を打つことは確実です。アルメニア含め国際的に未承認とはいえ、実質一つの国家が消滅するのです…
これは30年に及んだカラバフ紛争が終結することを意味します。しかし、まさかこんな急速な展開で終わりを迎えるとは予想だにしませんでした。もちろん遺恨を残さずに解決できる問題ではなく、アルメニアが大きな譲歩や妥協を迫られることは覚悟していましたが、今の混迷した状況を見ると、さすがに喜ぶことなどできません…
アルメニアとアゼルバイジャンが争い続けたカラバフ共和国が消滅…これで、平和条約を締結する上で最大の障害が解消されたかもしれませんが、憎悪の連鎖は断たれたどころか、さらに悪化した可能性もあるので、交渉が前向きに継続されるかは微妙です。それに、まずは故郷を失った避難民の救済が喫緊の課題でしょう。私もできるだけ支援をするつもりです。
とにかく状況は流動的で予断を許しません。しかし、アルメニアの歴史、そして未来を大きく変えるであろう今の情勢を、希望を捨てず、なるべく冷静に見守って行きたいと思います。
- [2023/09/30 20:22]
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素晴らしかったポーランド旅行
今日9月27日は、3年前の第二次カラバフ戦争が始まった日。先週アゼルバイジャンによる攻撃があり、カラバフの自治と独立が失われようとしている今、多くのアルメニア人が辛く複雑な思いでこの日を過ごしているのではないでしょうか…
そのカラバフ情勢ですが、すでに3万人もの避難民がアルメニア本土に到着したそうです。これはカラバフの人口の4分の1。多くの市民は、やはりアゼルバイジャン統治の下で暮らすことに怯え、苦渋の思いで故郷を捨てて、少しでも安全な場所に避難したいのでしょう。今後も増え続けることは確実なため、その受け入れが大きな問題となっています。
今回の出来事は日本でもかなり報道されていますが、それに絡めて、アルメニアの急速なロシア離れを伝える内容も多いようです。確かにパシニャン首相が、「ロシアとの軍事同盟では不十分なことは明らかで、国の安全保障政策を大きく見直す必要がある」と公式に述べるなど、ロシアと距離を置こうとする姿勢が見えます。ただ、西側諸国も信頼に足る相手とは思えないので、その判断が賢明どうかには不安が残ります。
また、昨日夜にカラバフの燃料倉庫の爆発事故があり、これまでに70人近い死者が確認され、多くの負傷者と行方不明者が出たそうです。ただでさえ今カラバフは大変な状況なのに、悲惨なことが続いています…少しでも多くの命が救われることを祈ります。
一昨日、フィリピンから友人の大輔さんがアルメニアに到着しました。昨年も同じ時期に来ていたから、1年ぶりの再会。今回は、大輔さんの会社の役員の一人でもある石井さんもアルメニアを初訪問。4年前に家族でダバオを訪問した時に会って以来です。早速3人で再会を祝って乾杯しました。
元々は一緒に昨日から泊まりがけで旅行に行く予定でしたが、あいにく私が一昨日の夜に急に高熱を出してしまい、今日に延期になりました…家族からうつったのか、流行りの風邪を引いてしまったようです。お陰さまで今朝には熱が下がって、かなり体調も戻ったので、今から出かけます。
大輔さん、お帰りなさい!石井さん、アルメニアへようこそ!
大輔さんがフィリピンから持って来てくれたドラゴンフルーツを嬉しそうに切るアレン
さて、アルメニア情勢が混乱しているため、ずっと投稿できていなかったポーランド旅行の続きをご紹介します。やっと今回が最後。楽しい思い出がたくさんできた旅行だったから、すべてご紹介するのに時間が掛かってしまいました…
最後の二日間はワルシャワで過ごしました。1日目の日曜、私と聖美さんはお昼過ぎにウォッカ博物館に行きました。ポーランドはビールが美味しかったけど、やはり有名なのはウォッカ!まだ旧ソ連の衛星国だった時代に「ウォッカのルーツはロシアではなく、我がポーランドだ!」と異議を唱えるぐらい誇りを持っています。
実際にポーランドのウォッカの歴史は古く、11世紀頃には存在していたという説もありますが、少なくとも600年前から製造されていたそうです。そんなポーランド人の誇りであるウォッカの博物館は、酒好きの私にとって外してはいけない場所。ということで、同じく酒に目のない聖美さんと訪問しました。もちろん聖美さんは過去に訪問したことがあります。
ガイドが映像や資料を見せながら、ポーランドのウォッカの歴史や製造工程などをユーモアを交えながら説明してくれました。ガイドの説明からも、自国のウォッカに対する強いプライドが伝わります。その国産の原材料にこだわって作られる高品質のウォッカは世界中で愛飲されています。
ツアーの最後はもちろんテイスティング!原材料や金額が異なる4種類のウォッカを試飲します。ガイドが「口に数秒含んでから喉に流し込むと、ウォッカの風味や味をより楽しめる」と教えてくれたので、その飲み方で順番に飲んでいきました。最後が一番高価なものでしたが、私はその前の3番目のウォッカが気に入りました。というか、どれも美味しかった!そして、4杯も飲んだのに、大して酔いが回らないのも驚き!酒好きには堪らない楽しい見学になりました。
ワルシャワのウォッカ博物館を訪問
ポーランド人の誇りであるウォッカの歴史や製造工程の説明を興味深く聞くことができました
過去の様々なブランドのウォッカが飾られているスペース。ボトルやラベルも芸術ですね!
お楽しみのテイスティング!4種類のウォッカを試飲しました。
どれも美味しかったー!個人的には3番目に飲んだのが好み!
それから、ワジェンキ公園の無料コンサートに行ってきました。夏の毎日曜にショパンの曲がピアノで演奏されるので、前の週末に続いて、また聴きに行くことにしたのです。妻と息子たちと公園で合流し、木陰に座って美しい音楽を満喫しました。こんな素晴らしい機会が無料だなんて、本当に羨ましい!
コンサートを聴いてから、公園内を散歩しました。ワルシャワ水上宮殿などを見ながら、美しい自然の中を歩くのは気持ちが良かったです。多くの市民がくつろいでいました。とにかくワルシャワは緑豊かな公園が多くて、これも本当に羨ましい!ちなみにアレンとレオは、聖美さん宅の近所の公園でハリネズミを見つけたそうです。リスはよく見かけるけど、ハリネズミまで見つけるとはすごい!
その日の夜は、ベトナム料理を食べました。ベトナム人がやっている本格的なお店で、どれもめっちゃ美味しかった!だから、食べ過ぎてしまいました。ポーランドで私は少し太りましたね…帰宅してから、ポーランドで過ごす最後の夜ということで、聖美さんと遅くまで飲んで語り合いました。というか、毎晩遅くまで飲んでましたけどね。「来てくれてありがとう!」と聖美さんは何度も言ってくれましたが、いろいろとお世話になった私たちの方こそ本当に感謝です。
ショパンの銅像の下で開かれる無料コンサート。美しい音楽を堪能できました。
コンサート後に自然豊かな公園内を散策しました
ワジェンキ水上宮殿
木の葉が色づき始めていて、秋の気配を感じました
公園には放し飼いの孔雀もいました
首都なのに美しい自然に恵まれたワルシャワ
本格的で美味しいベトナム料理!
ポーランド最後の夜も、聖美さんと夜中3時ぐらいまで飲みました。飲まないとこぼれるように傾いた形のグラスが面白い!
出発の日は、聖美さんの知り合いの日本人美容師が来てくれて、妻にヘアカットとマッサージをしてくれました。日本で知り合ったポーランド人男性と結婚して、今年春にワルシャワに移住したそうです。美容師の経験と腕前を活かして、個人で仕事をしているとのこと。彼女は、その前の週に聖美さんたちが開いた夕食会にも来ていました。
ヘアカットは見学させてもらいましたが、腰のシザーケースにいろんなハサミやクシなどが入っていて本格的!例えば、濡れた髪と乾いた髪とで切る時は異なるハサミを使うそうです。そこまで使い分けたりするんですね。見ていると、明らかにアルメニアの美容師とは仕事のレベルや丁寧さが断然違う!そんなプロにきれいに切ってもらって、妻も嬉しそう。
ヘアカット後のマッサージは寝室でするので、なるべく邪魔しないよう、私は息子たちを公園に連れて行きました。近所の公園には、大人用の筋トレ器具や子供用の遊具が置いてあり、それでアレンとレオも楽しそうに遊んでいました。妻の後に私がヘッドスパを受ける予定だったので、1時間半ほど経ってから家に戻りました。
帰ると、妻はきれいに髪を切ってもらって、またマッサージも気持ちよかったみたいで、とてもスッキリした顔をしていました。私も頭と首筋を30分マッサージしてもらいましたが、すごく気持ちよくて寝そうになりました。自分では気づかなかったけど、首筋がすごく凝っていたらしく、よく揉んでもらってかなり柔らかくなりました。まさかポーランドで日本人美容師のサービスを受けられるとは…瑞季さん、どうもありがとうございました!
サービスで、ワカメちゃんカットになっていたアレンの前髪をすいてもらいました。シザーケースがすごい!
妻のヘアカット。丁寧な仕事に妻はすごく満足していました。ありがとうございました!
公園の筋トレ危惧で遊ぶアレンとレオ
兄弟仲良く遊具で遊ぶアレンとレオ。公園に安全な遊具がたくさんあるのも羨ましい!
それから、最後の昼食と観光を兼ねて旧市街方面に向かいました。もちろんポーランド料理を食べました。ジュレックやピエロギを食べて、ビールを飲みました。ポーランドは食事もビールも美味しかった!そして、アルメニアから行っても、あまり物価が高いとは感じないから、とても過ごしやすかったです。
食事後は、聖十字架教会を見学しました。ここの柱の一本には、ショパンの心臓が眠っています。ショパンの遺体はパリにあるのですが、ロシアなどの支配下にあった祖国ポーランドに帰国できず、せめて心臓だけは祖国に埋葬してほしいというのが、彼の生前からの願いでした。ショパンの最期を看取った姉が、その心臓をドレスの下に隠して国境を越えたそうです。
第二次世界大戦中、心臓はナチスによって持ち出されたらしいですが、戦後に教会が再建された後、無事に元の柱の中に戻ったそうです。荘厳な雰囲気が漂う教会の中で、ショパンの心臓が眠る柱を前にした時は、彼が祖国愛を込めて作ったマズルカやポロネーズのメロディが心に流れてきました。今回ポーランドを再訪問して、ショパンの音楽家としての偉大さ、また彼の音楽の素晴らしさを改めて認識することができました。
最後の観光を終えて、ダグラス・聖美さん夫婦と空港に向かいました。子供連れだったから、優先的にチェックインできました。今回も二人のお陰で、毎日がとても楽しく充実した旅行となりました。本当の孫のようにアレンとレオにも優しくしてくれました。心から感謝しています!本当にありがとうございました!また会いましょう!
みんなで最後の食事。ポーランドの料理とビールは美味しかったー!
ダグラスさんに軽々と引きずられるレオ
ショパンの心臓が安置されている聖十字架教会
ショパンの心臓が眠る柱。その前に立つと、厳かな気持ちになりました。
バロック様式の教会内部も美しかったです
空港で記念撮影。ダグラスさん・聖美さん、本当にありがとうございました!素敵な夏の思い出になりました!
- [2023/09/27 14:43]
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エレバン近郊のワイナリーを訪問
ここ最近は、朝から青空が広がる好天が続いていて、暑くも寒くもない過ごしやすい気候です。木の葉が少しずつ色づき始めているので、秋がもうすぐそこまで来ているのを感じます。ただ、季節の変わり目のせいか、体調を崩している人が多いようです。次男レオと妻も微熱を出していました。
カラバフ情勢ですが、停戦合意に従い、ロシア平和維持軍の監視の下、カラバフの軍隊が武器の引き渡しと陣地からの撤退を始めました。エレバンの中心部では抗議デモが続いており、多くの逮捕者が出たようです(デモが行われている場所以外は至って平穏です)。SNS上でも、現政府やアゼルバイジャンに対する非難また嫌悪する内容の投稿を多く見かけます。
しかし、上記のように声を上げている人たちよりも、沈黙を守っている人たちの民意の方が重要かもしれません。彼らの方が圧倒的多数で、たとえ目に見える形で声を上げていなくとも、今の状況に対して何か意見を持っているはずです。その声なき声が、アルメニアとカラバフの今後を左右することになるでしょう。
国連総会で、イスラエルのネタニヤフ首相がサウジアラビアとの関係正常化が実現間近だと述べました。アラブの盟主であるサウジは、パレスチナ問題を巡って長年イスラエルと対立してきましたが、来年早々に国交正常化に合意する見通しだそうです。今年サウジは中国の仲介でイランとも国交を回復したので、このイスラエルとの歩み寄りが中東情勢に大きく影響するのは必至です。
大国の利益や都合で分断されてきた国と地域が、お互いに対立を乗り越えようとしています。世界は今、欧米中心の勢力構図から多極化へと移行しようとしています。アルメニアを含む南コーカサスも、この歴史的な世界情勢の変化に乗り遅れないよう、厳しい譲歩や決断を迫られながらも、一刻も早く融和を進めるべきだと思います。
昨晩は、間もなくアルメニアを離任される大使館職員の方の送別会が開かれたので、妻と一緒に参加してきました。とても気さくで明るい方で、私たちもお世話になりました。3年前に着任後すぐに戦争が始まるという大変な時期にアルメニアに駐在されましたが、この国をとても気に入られたようで良かったです。寂しくなりますが、次の駐在先のデンマークでのご活躍を祈っています。
小野寺さん、ありがとうございました!体に気をつけて、新天地でも頑張ってください!
ポーランドから帰ったら新しいレゴを買ってあげると約束していたので、通販でエイリアンのレゴを購入。レオが部品を見つけて、アレンが組み立てるという役割分担で作っていました。
完成したエイリアン !唾液までレゴで再現して、すごい!映画「エイリアン」のファンなので、私の方が興奮してしまいました。
さて、アルメニアの情勢が混乱しているため、投稿を控えていましたが、先週の日曜のワイナリー訪問についてご紹介したいと思います。友人や知人とエレバン近郊のワイナリーや教会を訪問してきました。妻も誘われていましたが、大学院で勉強するという新生活の疲れからか、週末は微熱を出していたため、私だけ参加しました。お昼過ぎにエレバンを出て、アラガツォトン地方にある「ストーク」というブランドのワイナリーに到着しました。
昔いろはセンターに通っていた女性が、数年前からご主人と始めた新しいワイナリーで、白ワインをメインに作っているそうです。その女性は私のことを覚えていました。彼女が案内してくれて、自分たちのワイナリーやワインのことをいろいろ説明してくれました。とても興味深かったです。
そして、お楽しみのテイスティングと昼食の時間!新しいワイナリーだし、そこのワインはまだ限られた場所にしか販売されていないので、全く未知の味。3年前と昨年の白ワインをそれぞれ飲んでみましたが、どちらも美味しい!個人的には、3年前の方が味がしっかりしていて気に入ったので、後で購入しました。食事も美味しかったし、ツアーには初対面の方々もいたので、会話にも花が咲きました。
収穫したブドウを潰す作業
潰したブドウの果汁を濾過する機械。飲んでみたら、自然の甘さがあって美味しい!
見学しながら、ワイン作りの工程の説明を聞きました
今は収穫の時期で、ブドウがたくさん実っています
ワイナリーの飼い犬がとても人懐こくって可愛かったです
ワインを飲みながら、みんなで昼食。美味しかった!
白ワインをテイスティングしました。Storkは、ラベルに描かれているコウノトリの意味。
それから、近くのオシャカン村にある聖メスロップ・マシュトッツ教会を訪問しました。メスロップ・マシュトッツは、5世紀初めにアルメニア文字を発明した人物で、アルメニア教会では聖人とされています。その教会には彼のお墓があり、アルメニアでは巡礼地の一つだそうです。
教会に入ると、ちょうどミサが行われていました。入り口の上の壁画にはマシュトッツが描かれています。ロウソクを灯してお祈りした後、マシュトッツのお墓を見に行きました。立派な石の棺が置かれていますが、実はここには遺体はなく、部屋中のどこか別の場所に埋葬されているそうです。それは初耳でビックリ!
それから、教会の裏にあるマシュトッツ像とアルメニア文字のハチュカル(十字架石)を見学しました。アルメニア人は自分の名前の頭文字のハチュカルと一緒によく写真を撮るそうです。この教会の訪問はかなり久しぶりだったので、まるで初めてのよう感じました。
オシャカン村にある聖メスロップ・マシュトッツ教会
ちょうどミサが行われていました
入り口の壁には、アルメニア文字の考案者メスロップ・マシュトッツ(右側)が描かれています
マシュトッツのお墓がある地下室の入り口には、アルメニア文字が彫られた石碑があります
マシュトッツのお墓。でも、実際には遺体は部屋のどこか別の場所に埋葬されているそうです。
地下室の窓から礼拝堂が見えます
マシュトッツ像とアルメニア文字のハチュカル
最後にイェガニャン・ワイナリーに立ち寄りました。ここは昨年11月に訪問したことがあり、ご夫婦が私たちと愛想よく迎えてくれました。その時の訪問については、過去の記事をご覧ください(こちら)
今回は急な訪問だったので、外のテラス席でコーヒーやお茶、そしてウォッカを頂きました。ワイナリーだから、もちろんワインを主に作っていて美味しいのですが、ここは自家製ウォッカもめっちゃ美味しい!ぶどうや杏、チェリーや桃のウォッカがあって、どれも果実の風味がちゃんとして美味しいです。今回は桃のウォッカを購入しました。
口当たりがよくて美味しいけど、もちろん度数が強い!みんなと何度も乾杯して飲んだら、酔っ払って楽しい気分になってきました。私もルザンさんも踊りたくなって、携帯で音楽をかけて踊りました。他の人たちも踊りの輪の中に入って盛り上がりました。酒と音楽と踊り!これがやっぱり最高!
しかし、ちょっと私は飲み過ぎてしまい、帰りはフラフラでした。何とか帰宅して、そのままベッドに倒れ込んで寝てしまいました…美味しいお酒を味わえたし、いろんな人と知り合えたし、とても楽しい一日になりました。誘ってくれて、どうもありがとうございました!
美味しい自家製ウォッカで乾杯!
酔っ払って盛り上がってきたから、みんなで踊りました。楽しかったー!
- [2023/09/24 18:45]
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カラバフとアゼルバイジャンの代表団が会談
今朝、テレビ朝日の「グッド!モーニング」という番組で、今回のカラバフでの出来事が取り上げられ、私のインタビューも放送されました。昨日、急遽ネット取材を受け、現地に住む日本人として質問に答えました。知人が動画を送ってくれたので、私も見ました。
番組は、カラバフの問題そのものに焦点を当てているというより、それを通してロシアの影響力低下などを伝える方向だった気がします。なので、私の発言内容も、番組の方向性に沿った形で切り取られて編集されていました。できれば、もっと今ここで起こっていること自体を掘り下げて伝えてほしかったですね。
そのインタビューでも話しましたが、昨日9月21日はアルメニアの独立記念日でした。しかし、その直前にアゼルバイジャンによるカラバフ領域への攻撃があったため、全くお祝いムードはありませんでした。それどころか、多くのアルメニア人が暗く悲しい気持ちで過ごしていたはずです。
明後日に予定されていたヒップホップ歌手のスヌープ・ドッグの大規模なコンサートも延期されたそうです。この状況でコンサートを行うなんてできるわけないので、仕方のない判断でしょう。
前回の記事に追記で書いたように、19日に始まったアゼルバイジャンが「対テロ軍事作戦」と呼ぶ攻撃は、20日にロシアの平和維持軍の仲介でカラバフ側と停戦合意に達したことで収束しました。アゼルバイジャンが要求していた軍の武装解除をカラバフ側が受け入れたからです。停戦合意が発表される少し前に、カラバフの大統領が「厳しい決断を迫られている」という声明を出したので、この結末の予兆はありました。
これは事実上のカラバフ側の全面降伏で、アゼルバイジャンへの再統合について交渉を行うことも受け入れました。約30年に及ぶアルメニア系住民による自治、またアルメニア含め国際社会からは未承認ですが、カラバフ国家の独立が終わることを意味します。
その双方の代表団による初会談は、奇しくもアルメニアの独立記念日であった昨日にアゼルバイジャン中部のエブラフで開かれました。ロシア平和維持軍の仲介の下、再統合に関する様々な課題について話し合われ、今後も交渉を続けることで合意したそうです。
交渉後にアゼルバイジャンの代表団は、「カラバフとの直接交渉が実現したことで、アルメニアと長年続いた対立が終わる可能性があり、平和条約締結に大きく近づいた」と述べました。ロシアの報道官も、「平和条約締結に必要な前提条件がすべて揃った」と述べました。
しかし、アルメニア人にとっては屈辱的なことで、内閣府や国会議事堂の前で抗議デモが行われています。参加者らは、現政府に大きな責任があるとして、パシニャン首相の辞任を求めています。ただ、基本的にエレバンは平穏で、多くの市民は普段どおりの生活を送っています。息子たちも学校に、妻も大学院に通っています。
政府に抗議している市民らの気持ちは理解できます。同胞民族が攻撃され、民間人を含む多くの死傷者が出ました。さらに、カラバフ国家が消滅しようとしているのですから、その怒りと悲しみは耐え切れないものでしょう。まして、虐殺など苦難の歴史があるので、今の状況に民族アイデンティティを深く傷つけられたと感じるのも無理ありません。
もちろんアゼルバイジャンの武力行使は非難されるべきものです。しかし、当ブログで何度も言及しているように、30年もの間、この領土問題を交渉によって解決できなかった責任はアルメニア側にもあります。譲歩や妥協をせずに根本的な解決を先延ばしたことで、問題をより複雑化させ、過酷な試練や悲劇を招いてしまったように思います。
昨日の独立記念日にパシニャン首相は演説で、「平和を休戦や停戦と混同してはならない。平和とは、二度と争いが起こらない環境であり、それを達成する道のりは容易ではなく、未来のために多くの困難を乗り越えなければならない」と述べました。
確かに、第一次カラバフ戦争後の”平和”は砂上の楼閣だったのではないでしょうか…そんな見せかけの平和は、常に多くの犠牲を必要とし、いつ破綻するか分からない脆いものです。それが3年前に現実のものとなりました。その厳しい現実を受け止め、真の平和を確立できるよう、隣国との対立を一刻も早く解決すべきだと思います。
とはいえ、この急激な状況の変化は予断を許しません。カラバフがアゼルバイジャンに再統合された場合、そこに住むアルメニア系住民の人権と安全が守られるのかは疑問です。たとえアゼルバイジャン側がそれを保証する用意があったとしても、これまでの根深い対立の歴史から、アゼルバイジャン統治の下で暮らすことを望まない市民は多いでしょう。
そのため、カラバフからアルメニア本土に多くの市民が移住してくる可能性があります。アルメニア政府は、「彼らが自分たちの故郷カラバフで安心して暮らせるよう、あらゆる努力を講じる」と述べていますが、移住者のために、すでに4万人以上の住居の提供準備があるとも述べています。
アルメニアに住む私にとって、今後どのように事態が展開していくかはとても重要なことです。しかし、何があろうと、きっといつか平和が訪れると信じています。愛するアルメニアの行末を、希望を捨てずに見守りたいと思っています。
そして、これからも多角的に情報を調べて、なるべく冷静に状況を見るよう努めながら、アルメニアの情勢を当ブログで伝えていくつもりです。
- [2023/09/22 18:02]
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アゼルバイジャンがカラバフを攻撃
今日は、日曜のワイナリー訪問のことをご紹介しようと思っていましたが、日本でも報道されていたように、カラバフが大変な状況に陥っているので、急遽それについて書きたいと思います。
昨日午後、アゼルバイジャン軍が首都ステパナケルトを含むカラバフ領域に砲撃を行っているという速報がありました。そして、境界線でも攻撃が行われているという情報も飛び込んできました。エッ!まさか?!と一瞬信じられませんでしたが、アゼルバイジャン政府が正式に「対テロ軍事作戦を開始した」と発表したことを知り、報道が事実であると分かりました。
3年前の同じく9月に戦争が始まった時は、いつものように数日で終わるだろうと思いました。しかし、その後にステパナケルトが砲撃されたというニュースを見た時に、「もしかすると本格的な戦争に発展するのでは…」と大きな不安に襲われました。昨日はそれと同じ不安と戦争のトラウマが蘇り、一気に暗澹たる気持ちになりました。
アゼルバイジャンは、今回の攻撃を「局地的な対テロ作戦」と呼んでいます。カラバフ領内のアルメニア軍の撤退や武装解除が目的だからだそうで、彼らの主張によると、アルメニア軍組織がカラバフに駐留して、銃撃や地雷埋設などの敵対行為を行っており、最近その地雷の爆発によってアゼルバイジャン人が死亡する事件が続発したとのこと。アリエフ大統領は、カラバフのアルメニア軍の武器引き渡しが作戦停止の条件だと述べています。
アルメニア政府は、自国軍がカラバフには駐留しておらず、事実無根だと否定しています。そして、「これはカラバフへの侵略攻撃であり、残虐な民族浄化だ」と激しく非難しています。カラバフからの情報によると、アゼルバイジャンの攻撃により、これまで民間人7人を含む32名が死亡し、200人以上が負傷したとのこと…また多くの血が流されている状況に胸が痛みます。
国際社会もこの深刻な事態に反応しており、各国はアゼルバイジャンに対し、即刻攻撃を停止するよう求めています。また、国連安全保障理事会は明日ナゴルノ・カラバフ問題を議論する会合を召集する予定だそうです。ただ、これらの要求や決議が事態の収束に繋がるかは疑問です。
係争地に平和維持軍を駐留させているロシアは、紛争当事者の双方と緊密に連絡を取り合い、事態の収束のためにあらゆる手段を講じていると述べました。そして、3年前に署名された停戦合意を履行できるよう、問題解決のプロセスを交渉のテーブルに戻すよう尽力していると述べました。
しかし、ロシアとその平和維持軍が、アゼルバイジャンの軍事行動を抑制しないことに一部のアルメニア市民は激しく怒っており、昨日はエレバンのロシア大使館前で抗議デモがありました。また、アルメニア政府が今回の事態に軍事介入しないと表明したことに反対する市民らが、内閣府建物の前で激しい抗議活動を行い、逮捕者や負傷者が出ました。政府はクーデターの危険があると警鐘を鳴らしています。
同胞民族の危機を見過ごせないという彼らの気持ちは分かりますが、国際社会も、またアルメニア政府も公式にアゼルバイジャン領だと認めるカラバフに軍を派遣すれば、それはアゼルバイジャンへの攻撃と見做され、再び二国間の大戦争に発展するのは確実で、トルコも同盟国アゼルバイジャンを支援するために参戦する可能性があります。そんなことになれば、いかに悲惨な事態を招くかは想像に難くありません。
ここ最近のニュースから不穏な空気や緊張の高まりがあったことは感じていましたが、あまりに突発的な出来事で、情報が錯綜しており、私自身も状況をどれだけ正確に把握しているか自信がありません。しかし、一方的な情報を鵜呑みにせず、なるべく感情を抑えて、冷静に事態を把握するよう努めています。とはいえ、平和への希望を打ち砕かれる現実を前にして、不安と悲しみで押し潰されそうになる自分がいます…
奇しくも明日9月21日は、アルメニアの独立記念日です。旧ソ連から独立して今年で32周年。アルメニアは1990年の8月23日に独立宣言を採択したのですが、先月パシニャン首相がそれを記念して発表したスピーチに、「平和が訪れない限り、アルメニアは旧ソ連の亡霊から逃れることはできない」とありました。
元はと言えば、カラバフ問題はスターリンの民族分断政策に起因します。その旧ソ連が残した負の遺産のために、独立後も長い間アルメニアとアゼルバイジャンは対立し続け、お互い多くの犠牲を払うことになりました。そして、いまだに争いの連鎖を断ち切れず、今回のような悲劇が起こりました。
3年前と同じく、戦争がいかに悲惨なものかを痛感しています。平和がいかに尊く、そして脆いものかを痛感しています。とにかく一刻も早く事態が収束することを祈っています。
追記:今日の現地時間13時、ロシア平和維持軍の仲介により、カラバフとアゼルバイジャンは停戦合意に達しました。カラバフ側は、アゼルバイジャンが要求していた軍の武装解除を受け入れたとのことです。そして、明日21日にアゼルバイジャン中部のエブラフで、双方の代表者がカラバフの今後について会談する予定だそうです。
- [2023/09/20 15:55]
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