妻が翻訳した「金閣寺」が出版!
4月末になり、今年も3分の1が過ぎようとしています。基本的に暖かいのですが、まだ天気が不安定で、シャツだけでは少し肌寒いから、薄手のセーターを着ると暑く感じたり…と着るものに困る時期です。
日本はGWの時期になり、今日から海外旅行に出かける人も多いのではないでしょうか。新型コロナが感染法上の第5類に分類されるのに伴い、これまで入国時に求められていたワクチン接種証明やPCRの陰性証明が今日から不要になりました。やっとアホで無意味な水際対策が終わったわけです。あとは、無駄にマスクをし続ける習慣も早く終わってほしいものです。
4か月以上も続いた環境保護団体を名乗るアゼルバイジャン人グループによるラチン回廊の封鎖が、昨日ついに終了したという報道がありました。といっても平和裡に解決された訳ではなく、アゼルバイジャン政府が、先日ラチン回廊に検問所を設置し、同グループにデモの中止を要請したのが大きな理由です。
同グループは、アルメニア側による鉱山の違法採掘と環境汚染に対する抗議デモだと主張していますが、アゼルバイジャン政府が組織して行われた可能性が高いので、最初から検問所を設置することが目的の一つだったかもしれません。というのも、アゼルバイジャンは、ラチン回廊を通じてアルメニアがナゴルノ=カラバフに武器を輸送していると非難していたからです。
一方、アルメニア政府は、武器輸送の事実はないと否定し、今回の検問所設置を同回廊を介した自由な移動を認める2020年の停戦協定に違反する行為だと強く非難しています。長く続いた封鎖が終了したのは良かったものの、アゼルバイジャンによる検問所設置の問題で両国の緊張がまた高まっています。
しかし、ロシアの仲介で両国の外相会談が近々実施されるという報道もありました。30年間も領土問題で激しく対立し、お互い多くの犠牲を出したアルメニアとアゼルバイジャンが歩み寄ることは容易でないのは当然ですが、交渉を重ねて、少しでも現状を打開する妥協点や道筋を見出してほしいと思います。そして、平和条約が締結されることを願います。
さて今週、妻が翻訳した三島由紀夫の「金閣寺」がついに出版されました!妻が翻訳・校正を終えたのが昨年2月だから、出版まで1年以上かかったことになります。編集者による推敲や修正も時間を要したみたいですが、妻によると本当に素晴らしい作品になったようです。
ノーベル文学賞の候補になりながらも受賞できなかった優れた作家を紹介する「ノーベル賞一歩手前」というシリーズで、日本の作家として三島の代表作が選ばれました。なので、表紙は三島由紀夫のポートレート。精悍でハンサムな顔立ちだから絵になりますね。もう少し長く生きていれば、確実にノーベル賞を受賞していたでしょう。
日本人でも難解な三島文学の翻訳は、妻にとって本当に大変な仕事でした。私も手伝いましたが、美的な修飾にあふれ、深い精神世界を表現した三島の文章をアルメニア語に訳すというのは困難を極めました。過去に村上春樹や川端康成の作品を翻訳した妻にとっても、かなり難しかったようです。
加えて、真面目な性格の妻は細かいところも妥協しないから、朝から夕方までやっても、たった1,2ページしか翻訳できないなんてことも多々ありました。そんな時は疲れ果てていましたね…それでも地道に翻訳と校正を最後までやり切り、優秀な編集者にも恵まれて、納得のいく作品になったようです。その編集者も、妻の翻訳を高く評価してくれました。
世界的に有名な作品なので、ロシア語訳などは昔からありましたが、これが初のアルメニア語訳となります。この傑作が多くのアルメニア人に読まれることを願っています。苦労して翻訳した作品がついに形になって、妻もとても嬉しそうです。どれだけ大変でも、こうやって立派な成果として残るから頑張れるのでしょう。
今月は私も仕事でかなり忙しかったのですが、それもひと段落ついたところ。なので、明日にでも家族で食事に行って、本の出版をお祝いしたいと思っています。リリット、本当にお疲れ様!そして、おめでとう!
ついに出版された「金閣寺」のアルメニア語版!妻の大仕事が形になって世に出ました!おめでとう!
細密画の学校に通うアレンが描いた静物画。上手になったなー
レオが小学校で描いた絵。レオもけっこう上手!
細密画学校からの帰りにこんな大きな水たまりが!ここだけ道が川にみたいになっていました…
- [2023/04/29 18:37]
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アルメニア人虐殺記念日
昨日は天気がよくなかったですが、今日は朝から青空が広がって暖かいです。今朝はレオが学校に行くのを嫌がって、午前中はずっと教室の外で座り込んで授業を受けなかったそうです…別にいじめられたりはしていないんですが、休み明けはいつもこんな感じで困ります。
エレバンで開催されていた重量挙げのヨーロッパ選手権が終了し、アルメニアが最多メダルを獲得しました!開会式でアルメニア人男性がアゼルバイジャン国旗を燃やし、そのために急遽アゼルバイジャン人選手らが参加を取りやめて帰国するという残念な出来事がありましたが、ホスト国のアルメニアが大健闘したことを嬉しく思います。
先週土曜は、エレバン中心部の美術館で開催されているゴッホ・バンクシー展に家族で行ってきました。といっても、彼らの作品が展示されているのではなく、デジタル映像で彼らの経歴や功績、作風などを見せるという展示。作品のディテールを美しいデジタル映像で見たら、ゴッホの斬新な表現力に改めて感動…溢れんばかりの情熱に圧倒されました。
また、久しぶりに大豆から納豆を作ったので、日曜の夜は家族で手巻き寿司を食べました。もう納豆が美味すぎ!アルメニアで普通に納豆を作って食べられる日が来るなんて感無量!息子たちが「また寿司を食べたい!」と言うので、また近々やろうかなと思っています。
デジタル映像でゴッホの生い立ちや作品を紹介する展示。改めてその狂気と才能に圧倒されました。やっぱりすごい!
バンクシーの歴史や作品もデジタル映像で紹介されました。パンク精神を貫く彼のアートスタイルも好きです。
手作り納豆やツナマヨ、アボカドやカニカマを具にして手巻き寿司!美味しかったー!
なんと皿洗いを手伝うレオ!えらい!学校を嫌がらずに行ってくれたら文句なしなんだけど…
友人で息子たちのゴッドペアレンツであるダグラス・聖美さん夫婦と久しぶりにネットで話しました。ナルトグッズを嬉しそうに見せるアレン。聖美さんが日本から買って送ってくれたナルトの漫画も少しずつ読んでいます。
時々ハーネスを付けて猫を散歩させると、木に登ったりします。一昨日はアレンが紐を手から離してしまい、上の方に登ってしまいました。無事に下ろすことができたけど大変でした…
さて、昨日4月24日は、アルメニア人虐殺記念日でした。今年は108周年。当ブログで何度も書いているように、このアルメニア人虐殺とは、第一次世界大戦中にオスマン帝国が行った強制移住や殺戮によって、東トルコに居住していたアルメニア人が100万人以上が亡くなったとされる歴史的悲劇です。
この記念日は、多くのアルメニア人がツィツェルナカベルトと呼ばれる虐殺記念碑を訪れて献花します。私と妻も毎年訪問していて、昨日も慰霊のために花を捧げに行きました。ちなみに、妻はその虐殺の生存者の子孫です。記念碑のある丘の麓で花を買って、上へと歩いて行きました。多くの参列者がいましたが、立ち往生することなくスムーズに記念碑まで辿り着くことができました。
記念碑に着くと、永遠の炎の周りにはすでにたくさんの花が積み上げられていました。私たちも献花して、犠牲者の冥福を祈りました。そして、私はいつものように心から平和を祈りました。私にとって、慰霊の日であると同時に、平和がいかに尊いものであるかを再認識する日でもあるのです。
多くのアルメニア人にとっては、反トルコ感情や愛国心が高揚する日で、ソーシャルネットワークではその怒りや悲しみを表現した投稿を見かけるし、トルコ国旗を燃やすアルメニア人もいます。大規模な人道的悲劇であるにも関わらず、トルコ政府はこの虐殺の歴史を公式に認めず謝罪をしていないし、3年前の戦争では全面的にアゼルバイジャンを支援しました。アルメニアの気持ちは十分理解できます。
しかし、アルメニアはトルコとの国交正常化交渉を本格的に進めています。このような動きは過去にもありましたが、アゼルバイジャンとナゴルノ=カラバフを巡る領土問題があったため、残念ながら頓挫しました。というのも、トルコとの関係が悪化して国境が閉まったのは約30年前の第一次カラバフ戦争中のこと。優勢だったアルメニアがカラバフ周辺の地域も実効支配したことを受けて、トルコは国境を封鎖したのです。
ところが、3年前の第二次カラバフ戦争の結果、アルメニアが実効支配していたカラバフ周辺の領土がアゼルバイジャンに返還されたため、状況に劇的な変化が起こりました。国交正常化に向けた交渉が継続的に行われ、今年初めには両国間の航空貨物輸送が開始されました。また、第三国の市民への国境開放が今年中に実施される見込みとなっています。
今年2月に発生したトルコ・シリア地震では、アルメニアの救援チームが被災地で救助にあたり、30年ぶりにトルコとの国境が開かれて支援物資が搬送されました。これについてはアルメニア国内で賛否両論ありますが、トルコ政府はアルメニアの支援に対して深い謝意を公式に伝えました。
虐殺の歴史を忘れずに語り継ぐことはもちろん大切ですが、より良い未来に向けて関係改善に努めることはそれ以上に大切です。過去に囚われて対立し続けても、その先に平和は訪れることはなく、結局は憎悪と争いの連鎖が続くだけ…それは、この30年間に全く前向きな進展がなかったことからも分かります。
犠牲者への真の弔いとは、その終わりのない負の連鎖を断ち切って、平和な社会を築いていくことではないでしょうか。未来の世代が戦争や虐殺という悲劇を経験することのない希望ある社会を作ることではないでしょうか。そのためには、今の大人の世代が大きな決断をする責務があります。平和は厳しい現実に目を背けて待っていても訪れません。その現実に向き合って少しずつ作り上げていくものです。
アルメニア人虐殺記念日が、過去の悲劇を思い返すだけでなく、平和への決意を新たにする日になってほしい…3年前の戦争以降、この日に私は以前よりもそう強く願うようになりました。そして、きっといつかそれが実現されると信じています。
虐殺記念碑には多くの市民が献花に訪れていました。天気は良くなかったけど、幸い訪問中は雨に降られませんでした。
記念碑には大量の花が捧げられていました。アルメニアに真の平和が訪れますように!
- [2023/04/25 21:52]
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平和条約締結交渉の行方
今日は朝から曇り空ですが、セーターやジャケットは不要なほど暖かくなりました。予報によると、まだ不安定な天気が続くみたいでちょっと気が滅入ります。しかし、気温はどんどん上がっていくようです。
昨日、次男レオのパスポート更新のために日本大使館に行ったら、ガーシー元議員に対する旅券返納命令の張り紙がありました。私はこの人の話題に全く関心がないのでよく分かりませんが、今は各国の日本大使館に同じ張り紙がされているのかもしれませんね。まあ、アルメニアに潜伏している可能性はゼロでしょうけど…
一昨日アルメニア政府は、これまで行われてきたトルコとの国交正常化交渉、またアゼルバイジャンとの平和条約締結交渉の詳細を発表しました。そして、議会でパシニャン首相が、かなり重要な発言をしました。というのも、実質的にナゴルノ=カラバフはアゼルバイジャンの一部であると認める内容が含まれていたからです。
パシニャン首相は、2007年のマドリッド原則によると、ナゴルノ=カラバフの法的地位などはアゼルバイジャンとの合意によって決定されるべきで、これは同地域がアゼルバイジャンの一部であることを認めているに等しいと述べ、さらにアルメニアはアゼルバイジャンの領土保全を完全に認めると発言しました。
そして、国際的に認められている両国の領土を相互承認することで平和条約の締結は可能であり、それは同時にナゴルノ=カラバフを実質的にアゼルバイジャンの一部と認めなければいけないと、パシニャン首相は述べました。この国際的に認められている領土というのは、旧ソ連時代の境界線に基づいているため、ナゴルノ=カラバフはアゼルバイジャン領になります。実際に、同地域の独立は国際的にほとんど認められていません。
パシニャン首相は、政府が上記のような自国にとって不都合な事実を長年伝えてこなかったことで、アルメニア国民とカラバフ市民を欺き、それが過去の紛争の原因となったと自戒の弁を述べました。そして、今その事実に向き合わなければ、アゼルバイジャンとの平和条約を締結することは不可能であり、アルメニアとカラバフ市民の安全保障のためには、国際社会の介入や協力が不可欠だと強調しました。
これは衝撃的かつ歴史的な発言かもしれません。野党や多くの市民の反発が予想されますが、ついにアルメニア政府が現実的な方向でカラバフ問題を解決する決意をしたように私は思います。3年前の第二次カラバフ戦争が起こってから、私はそれまでの知識や先入観を捨てて、改めてこの領土問題を多角的に調べるようになりました。すると、この紛争においても完全な善悪は存在しないこと、そしてアゼルバイジャンほどでないにしろ、アルメニア政府も自国にとって都合のいいプロパガンダを続けていたことに気づきました。
例えば、カラバフ周辺の領土をアゼルバイジャンに返還すべきということは、先述のマドリッド原則にもはっきりと明記されており、国際社会も履行するようアルメニアに求め続けてきました。しかし、過去のアルメニア政府は、その合意について国民に理解を求めようとはせず、交渉においても一切譲歩しませんでした。そうやって30年間も本質的な解決が先延ばしにされてきたのです。
とはいえ、元々アルメニア系住民が多く住み、ソ連崩壊時にアゼルバイジャンからの分離独立を求めたカラバフの扱いはとても難しい問題です。もしアゼルバイジャンに再帰属された場合、どれだけ強い自治権を与えられたとしても、住民の権利と安全が保証されるのかについては大きな懸念があります。アルメニア民族の長い苦難の歴史、また両民族の憎悪や反感の根深さを考えると、アルメニア人にとってそれは受け入れ難いことではないでしょうか…
ただ、その国民感情は十分理解できますが、厳しい現実に正面から向き合わないと、いつまでも憎悪と争いの連鎖を断ち切ることはできません。延々と人が傷つき命を落とすという悲劇が繰り返されます。これまで払われた多大な犠牲は、そんな終わりのない悲劇のためではなく、将来の国の平和のためであるべきです。そして平和を実現するためには、現実的な交渉を進めていくしかありません。
愛国心とは、敵対して戦うことだけでなく、国の未来にとって本当にどうすべきかを考えて苦渋の選択することも同じです。今コーカサス地域は、過去を乗り越え、平和な社会に近づくために重要な選択に迫られています。また、当ブログで何度も書いているように、世界は今ものすごい勢いで多極化しています。その大きな歴史の転換期において、この地域も融和していく必要があり、そのためにはトルコやアゼルバイジャンとの関係正常化は不可欠です。
3年前の戦争は、私にとって人生で最悪ともいえる経験でした。毎日多くの若い兵士が亡くなり、国全体が悲しみと怒りに覆われました。終わりの見えない悲惨な戦争の中で、いつも心は暗く重く張り裂けそうでした。希望を失いかけて、思わず涙が流れることもありました。そして、平和の尊さを嫌というほど痛感しました。もう二度とあんな経験はしたくないし、愛する息子たちにも将来してほしくありません。
アルメニアで教会を、日本で寺社を訪れた時に、いつも私は心から強くこう祈っています。「アルメニアに真の平和が訪れますように。息子たちの未来が、争いのない平和な社会でありますように」この歴史的な機会を逃さず、平和条約が少しでも早く締結されて、私の祈りが実現してほしいと思います。
一昨日は妻の従兄弟の息子さんの誕生日でした
晴れていると暑いぐらいの陽気で、水が冷たくて気持ちいい!
緑がまぶしい季節になってきました。アレンは半袖で遊んでいます。
兄弟で仲良く遊ぶアレンとレオ
息子たちの未来が平和でありますように!
アルメニアに真の平和が訪れますように!
- [2023/04/20 23:44]
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私の49歳の誕生日
今日は朝から青空が広がっていますが、最近はずっと雨が降ったり止んだりでした。昨日はけっこう寒くて、地方では雪が降った所もあったそうです。来週も天気は不安定みたいだし、4月になっても春らしい陽気が少ない気がします。
今日からエレバンで重量挙げのヨーロッパ選手権が行われています。アゼルバイジャン人選手らも参加するためにアルメニア入りしていましたが、昨日の開会式で、一人のアルメニア人男性がアゼルバイジャン国旗に火をつけるという騒ぎがあり、急遽参加を取りやめて帰国することになったそうです…
元々険悪な関係である上に、最近は国境付近で軍事衝突が発生して両国の緊張が高まっているため、そのアルメニア人男性の行動を称賛する声も多いです。しかし、これはあくまでスポーツのイベント。そこで憎悪を煽るような出来事が起こり、結果的にアゼルバイジャンの選手が参加できなくなったことは残念に思います。
訪中していたマクロン仏大統領の台湾問題を巡る発言が批判されているようです。「台湾問題で過剰に米中に追従すべきではない」「同盟国は属国ではなく、自分たちで決める権利がある」など、私にしたら全くもって正論なのに、まるで裏切り者扱いするような報道ばかり…この思考停止状態こそが、まさにマクロン大統領が言及した属国そのもの!
米国防省の多くの機密文書がネット上に流出した事件からも、マクロン大統領が米国と距離を置きたくなるのは理解できます。リークに関与した容疑で米兵士が逮捕されり、ロシアの仕業という憶測が出たりしていますが、最も問題視すべきなのは、アメリカが同盟諸国を徹底的にスパイしている事実でしょう。日本の機密情報なんて全て筒抜けのはず…なのに、台湾問題でもウクライナ問題でも何でも盲目的に米国に追従するのは真の独立国家とは言えません。
イランと関係正常化で合意したサウジは、イエメン内戦を終結させようとしているし、シリアとも関係改善を進めています。カタールとバーレーンも外交関係を再開しました。BRICSの中国とブラジルも協力強化のために歩み寄っています。世界は予想以上のスピードで多極化しているのです。いつまでも冷戦思考に縛られて対米従属を続けていたら、この歴史的な大変化から取り残されてしまいます。
さて、今週水曜は私の49歳の誕生日でした。あと1年で50歳の大台に乗るわけです。アルメニアではかなり若く見られるから、私の年齢を聞くとみんな驚いて、「エッー?!まだ三十代に見える!」とか言ってくれますが、昨年から老眼が入るなど体はちゃんと歳を取っています。別にそれで落ち込んだりなんてせず、「全てはこうやって移り変わっていくのだなあ」と極自然な変化として受け止めています。
やはりそれは、自分の人生に満足しているからかもしれません。世間体や安定など度外視して、自分の心の声を大事にやりたいことを追求し続けて、この歳まで何とかなっているのは有り難いことです。もちろん自分らしく生きるためには苦労もいろいろありますが、お陰さまで悔いのない素晴らしい人生です。大台に乗るまでの1年も、その先もずっと、そんな生き方を貫けたらと思います。
誕生日当日は、妻と義母がプレゼントを渡して、「おめでとう!」と祝福してくれました。何歳になってもお祝いしてくれるのは嬉しいことです。ちなみに私の誕生日は、両親の結婚記念日でもあるので(改めて考えるとすごい偶然!)、両親にもお祝いと感謝のメッセージを送りました。何より親が産んで育ててくれたからこそ、今の私があるわけですからね。
そして、夜に家族とお祝いのディナーに行きました。アレンはフォーを、レオは寿司を食べたいと言うので、久しぶりにアジア料理もあるステーキレストランで食事することにしました。しかし、息子たちが希望するメニューを注文して食べていたら、それでお腹いっぱいになってしまって、結局ステーキは食べられませんでした。私の誕生日のお祝いなんだけど…まあ、息子たちが美味しそうに食べてくれたからよかったです。
帰りにケーキを買って、自宅で改めて誕生日をお祝いしました。二階に住む妻の従兄弟家族も来てくれて、みんなが歌を歌って祝福する中、ロウソクを吹き消しました。そして、妻の従兄弟が持ってきたウォッカで乾杯しました。もうそんな盛大にお祝いする歳ではないから、こぢんまりしたものでしたが、家族と共に楽しく幸せな一日を過ごすことができました。
家族でお祝いのディナーに行きました。ワインで乾杯!食事も美味しかった!
ケーキを買って自宅でお祝いしました!
妻の従兄弟の息子さんとチェスをするレオ。頑張ってチェス教室に通っています。
アレンは細密画の学校に頑張って通っています
翌日いろはセンターに授業に行ったら、センター職員みんながケーキとプレゼントを用意して、サプライズで私の誕生日をお祝いしてくれました。まあ、なんとなく着いた時からの雰囲気で、「これはきっとお祝いがあるんじゃないかな?」と思ったので、完全なサプライズとはなりませんでしたが、こうやってお祝いしてくれるのは本当に嬉しいことです。ありがとうございました!
ということで、みんなに祝福してもらって、とても幸せな49歳の誕生日になりました。改めて自分が多くの人に支えられていること、また良き出会いや縁に恵まれたことを実感します。それに感謝しつつ、これからも一度きりの人生を大切にして、とことん楽しみたいと思います!
妻からワインオープナーセット、いろはセンターからはチェリーのコニャックを頂きました。お酒好きの私にピッタリ!どうもありがとう!
息子たちは毎晩ネコと一緒に寝ています。特にアレンは動物が大好き!
ケンカもするけど仲睦まじい兄弟です。いつまでも仲良くいてくれますように!
- [2023/04/15 17:07]
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イースターと花見イベント
天気予報どおり、今週はすっきりしない天気が続いています。寒くはないですが、どんよりした空だと気が滅入りますね。なかなか春らしい陽気がやって来ません。
今日の午後アルメニアの北東部と南部の国境地帯で、アゼルバイジャン軍との衝突が発生し、双方に死傷者が出たという悲しいニュースがありました。南部の方はアルメニア本土からカラバフへの新道路が完成したばかりの地域。環境保護団体を名乗るアゼルバイジャン人グループによるラチン回廊の封鎖はまだ続いているし、和平への道のりは遠く険しく暗澹たる気持ちになります。
しかし、カザフスタンを訪問中のアリエフ大統領は、「アルメニアと平和条約を締結して関係正常化することに代わるものはない」と述べたというニュースもありました。実際に起こっていることは真逆で、やはり30年も敵対した両国が歩み寄ることは困難極まると思いますが、少しでも早く憎悪と争いの連鎖がなくなってほしいと切に願います。
さて、先週末はイースター(復活祭)でした。それを祝うワインフェスティバルが、土曜にエレバン中心部で行われていたので、妻と行ってみたら…なんと試飲はなく、ただワインを売るブースが並んでいるだけ。飲めないんだったら意味ないやん!とガッカリしましたが、その日の夜に飲む赤ワインを購入しました。そして、近くのレストランでビールを飲みました。ワインフェスティバルに行ってビールを飲むって一体何をしに行ったのか分かりませんけどね。
その帰りに家の近所の教会に寄って、イースターのミサに参列しました。多くの参拝者に混じってロウソクに火を灯して祈りました。そのロウソクの火を持ち帰って家に灯し、それから家族で食事しました。まずは赤く染めたイースターエッグをぶつけ合う遊びをしました。先に割れた方が負けという遊びです。
そして、赤ワインでキリストの復活を祝って乾杯しました。イースターの前夜は肉食をしないので、恒例のマス料理とドライフルーツのピラフを食べました。イースターはこうやって家族で静かに過ごすのが慣しです。
ワインフェスティバルに行きましたが、試飲はなし…購入したワインは美味しかったです。
近所の教会のミサに行ってお祈りしました
アレンとレオがイースターエッグをぶつけ合う遊びをしました
イースター前夜の食事
日曜は、いろはセンターの花見イベントがあったので参加してきました。その日は幸い朝から天気がよく、絶好の花見日和!センターの職員や学生、在留邦人ら約60人が集まりました。行き先はガルニ村にあるゲストハウス。そこの庭の杏は開花が遅くて、日曜はちょうど満開だったからです。アルメニアは桜がありませんからね。
ちなみにエレバンのカスケード展望台下の公園には、桜の木が植えられることになりました。かなり賛否両論があって、反対する市民も多くいます。確かに元々あった立派な街路樹が切られて掘り返される光景は残酷な気もします。もし来年きれいに咲く桜並木を見たら、市民の印象や意見も変わるかもしれません。
ガルニ村に行く途中、チャレンツアーチという場所に立ち寄りました。アララト山がきれいに見える所で、その日はラッキーなことに、アララト山がくっきりと姿を出してくれました。前日は雨が降って、風も強かったから、空気が澄んでいたのでしょう。みんなその素晴らしい光景に感動していました。
それからゲハルド修道院を観光しました。世界遺産にも登録されている歴史ある岩窟教会で、キリストを刺したと言われる槍が保管されていたため、ゲハルド(アルメニア語で槍の意味)という名前で呼ばれています。イースターということで、多くの参拝者や観光客で賑わっていました。そして、イースターのミサも行われていました。人は多かったですが、いつもここは神聖な空気に満ちていて、心が落ち着きます。私の大好きな場所です。
チャレンツアーチから望む美しいアララト山
アララト山をバックにみんなで記念撮影
ゲハルド修道院のイースターのミサ
ゲハルド修道院からガルニ村に戻り、花見会場のゲストハウスに着きました。広々した庭の杏はきれいに咲いていました。桜に似ていて春を感じさせます。天気も良くて気持ちいい!みんなでテーブルに座って、持ち寄りのおにぎりや唐揚げ、団子などを食べました。どれも美味しかった!私はビールを飲んで上機嫌になり、ギターを弾いて歌いました。
最後は、昨年12月に行われた日本語能力検定試験に合格した学生たちに、合格証書が手渡されました。拍手されながら受け取った学生たちはみんな嬉しそうです。よく頑張りました!これからも日本語の勉強を頑張ってください!
天気も良かったし、アララト山もきれいに見えたし、満開の杏の花の下で食べたり飲んだり、そして歌ったりして、とても楽しい一日となりました。どうもありがとうございました!
花見会場の杏の木。満開の花が青空に映えて美しかったです。
杏の木下でテーブルに座って食事しました
絵の具をつけた親指でハートを描きました。可愛らしいアートですね。
- [2023/04/11 23:54]
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