焼肉パーティー!
日本はゴールデンウィークですね。アルメニアも明日5月1日はメーデーでお休み、そして連休にするために明後日も休みになりました。まあ、特にどこか出かける予定などはありませんが…
さて先週の金曜の話ですが、日本から来られていた専門家の方や日本人会メンバーを呼んで、我が家で焼肉パーティーを開きました。家にはホットプレートが2台あるので、大人数でも焼肉ができるんです。あと、ゴマだれやポン酢などもあります(また調達しないと…)。
肉は、いつも頼んでいるミートショップ。今回も「しゃぶしゃぶ用の肉」と前日に頼んでおいたら、ちゃんと薄く切ってデリバリーしてくれました。切る技術が少しずつ上がっているのか、しゃぶしゃぶも出来なくはないかなと思えるほど薄い肉もけっこうありました。次回はしゃぶしゃぶもいいですね。
その店は肉の質がいいので、本当に美味しかったです。2.5キロの肉がきれいになくなりました。正直アルメニアのBBQだとお腹がふくれるのが早いんですが、日本の焼肉だとたくさん食べられますね。色んなタレを付けて食べるから変化があって飽きないんじゃないでしょうか。
今回は、私の結婚式の仲人夫妻もお呼びしたんですが、日本風の焼肉をとても気に入ってくれました。初めは恐る恐るタレをかけていた二人も、「美味しい」と分かってからは、ゴマだれや韓国だれを自分から試していました。
そして、今回も長男はみんなの人気者。仲人夫妻とはお正月以来会っていなかったので、成長した息子を見てとても喜んでくれました。そういえば、最近やたらと息子は「アターアター」とか「アタタター」と言っています。意味不明ですが、どうしても「北斗の拳」を思い出してしまいます。とにかく楽しいパーティーになったので、またこうやって集まりたいと思います。
大勢で焼肉ってテンション上がりますよね。肉も美味しかったし、お酒も進みました。
久々に長男に会った仲人夫妻。長男を「サムライ!」と呼んで可愛がってくれました。
- [2014/04/30 15:24]
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アルメニア虐殺記念日
少し天候が不安定ですが、晴れたときの太陽はけっこう眩しくて紫外線も強いです。一昨日はその陽の下に2時間近くいたので、顔を日焼けしてしまいました。
というのも、アルメニア人虐殺記念日の4月24日、毎年のように慰霊碑に献花しに行ってきたのです。今年は99回目の虐殺記念日で、私はアルメニアに住み始めてから5年連続で訪れています。そういえば、初めての時も妻と一緒でした。当時はただの友人でしたが。
ちょうど日本から来られている方と一緒に行ったんですが、人が多くて歩き始めてから慰霊碑にたどり着くまで時間が掛かってしまいました。来年は100周年ということで、かなり大きな式典が開かれるでしょうし、海外の要人やアルメニア系移民も多数訪れるはずです。来年は行くかどうかちょっと悩みますね…
さて、日本ではあまり知られていないアルメニア人虐殺とは、オスマントルコ帝国領内に住んでいたアルメニア人の多くが強制移住や虐殺によって死亡した事件のこと。4月24日が記念日とされているのは、1915年のその日、イスタンブールで起こったアルメニア系の著名人らの逮捕・追放事件が、大虐殺の契機となったと考えられているからです。
トルコ政府は計画的な民族浄化ではないと虐殺の事実を否定しており、この歴史問題が原因で、アルメニアとは正式な国交がなく国境も閉じられたままです。
今年は記念日前日に、トルコの首相が初めて哀悼の意を表す声明を出しましたが、やはり虐殺ということは認めておらず、アルメニア政府は「巧みに虐殺を否定・隠蔽する内容だ」と答えました。まあ日本も、常に韓国や中国と歴史認識を巡って揉めていますからね…簡単に解決できない問題であることは良く分かります。
しかし、いつまでも対立して国境も閉じたままというのは、お互いにとって良いことではないように思います。所詮、第三者的な意見かもしれませんが、少しでも両国が歩み寄る糸口を見つけてほしいと願います。
慰霊碑は小高い丘の上にあり、中腹ぐらいからすごい人で少しずつしか進めません。
暑いし長時間人ごみの中にいるのは疲れましたが、アララト山はとてもきれいに見えました。
1時間以上かかって、やっと慰霊碑の前まで来ました。この日じゃなければ、普通に歩いて15分ほどの距離なんですけどね…
が、慰霊碑の中もすごい混雑…どこまで行っても人、人、人。
何とか慰霊碑中央までたどり着き、今年も無事に献花できました。しかし、来年の100周年は一体どんなことになるんでしょうか…
- [2014/04/26 20:10]
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グルジアでの運命の出会い
明日4月24日は、アルメニア人虐殺記念日です。ちょうど今来られている日本の方と一緒に記念碑に行ってこようかと思っています。
さて先月初め、長男の日本パスポート取得のためグルジアに行ってきた時に、私の夢というか願望が一つ叶ったと書きました。それは、大切な友人に自分の家族を紹介すること。なぜそれが私にとって夢だったかは長くなるのでまた後日…と終わってそのままになっていました。長くなりますが、今日はその話を書きたいと思います。
15年前、私は勤めていた会社を辞め、バックパック一つ背負って長期旅行に出ました。まず船で中国に渡り、そこから西へ西へと陸路でユーラシア大陸を横断、出発から約1年後にトルコに辿り着きました。そして、当時かなりマイナーだったグルジアに入国しました。
少ない情報を頼りに宿を見つけ、首都トビリシやその近郊を観光しました。特に気に入ったのは、昔の面影が残るトビリシ旧市街とハマム。久々に湯船に浸かれるのが嬉しくて、ほぼ毎日ハマムに行き、温まった体で旧市街をぶらぶら散策しました。
ある日、公園のベンチに座ってボーッとしていたら、隣のベンチにいた家族連れの男性に声を掛けられました。けっこう年上の彼は意外にも英語ができて、いろいろ話していると、「すぐそこが僕らのアパートなんだけど、コーヒーでも飲みに来ないか」と誘われました。まあ家族連れだし大丈夫だろうと、お誘いに甘えることにしました。
彼の家で何気なく日本のパスポートを見せたら、なんと私と彼は同じ誕生日ということが分かりました。ちょうど誕生日の1ヶ月ほど前だったので、「来月一緒に誕生日を祝おう!」と盛り上がりましたが、当時グルジアのビザはたったの2週間…ウーン、残念だけど無理だなと諦めました。
しかし、偶然仲良くなったグルジア人が自分と同じ誕生日ということに何か運命的なものを感じました。そして、その後も毎日のように家に誘われて、彼らと飲んだり食べたりして楽しく過ごしていると、「せっかくだから一緒に誕生日を祝えないか」と真剣に考えるようになりました。そこで思いついたのがアルメニア旅行!
実は当初、私はアルメニアには全く行くつもりはなかったんですが、そのグルジア人の友人と誕生日を祝いたい一心で、ビザ再取得と時間潰しのために急遽予定を変更したのです。まさか、そんな経緯で訪れたアルメニアに将来住むことになろうとは思いもしませんでした…アルメニアでの出来事は過去の記事をご覧ください。(こちら)
それはさておき、アルメニアからグルジアに戻り、無事に私の26歳と友人の46歳の誕生日を共に祝うことができました。彼の家族や友人たちも参加して、一生忘れられない素晴らしい誕生日パーティーとなりました。当時無職だった彼は時間を持て余す日々を送っていたので、私という外国人と過ごすのが楽しいのか、その後もほぼ毎日家に誘ってくれました。
私も、彼や彼の家族と一緒にいると、自然と心が温かくなりました。彼の家族は奥さんと、再婚だった奥さんの連れ子、そして二人の間に生まれた赤ちゃん。生まれたばかりの赤ちゃんを、「この子は俺の全てだ。宝物だ!」と抱きしめて可愛がる彼の姿は見ているだけで幸せな気持ちになりましたが、同時にそんな自分に戸惑いました。
というのも、当時の私は結婚や家庭というものに対して否定的だったのです。理由については詳しく書きませんが、若者によくありがちな「別に結婚なんかしなくてもいい」という類のものではなく、「結婚して家庭を持っても不幸になるだけだ」という、もっと根が深く後ろ向きな考えを子供の頃から頑なに持っていました。
しかし旅先で、貧しいながらも互いに寄り添いあって暮らす家族の姿を見るたびに、どこか心が揺さぶられました。そのグルジアの家族と過ごしている時も、自分の中で確実に変化が起こっているのを感じ、彼の家から宿に帰る途中、いつも何か胸の奥から込み上げてくるものがありました。
トビリシを去る前日の晩、彼は地下鉄駅まで見送ってくれたのですが、その時ふと空を見上げて言いました。「独立してからグルジアはとても貧しくなった。俺のように仕事を失った人間がたくさんいる。でも、やっぱり独立して良かったと思う。ここには俺たちグルジア人の文化や歴史がある。生活は苦しいけど、いつも神様が見守ってくれている。何より、自分には支えてくれる大切な家族がいる」。
この言葉を聞いた瞬間、涙が一気に溢れました。自分が旅で何かを探していたとしたら、人間として当たり前の愛情や繋がりだったんじゃないかと気付いたのです。そして、自分も彼のように結婚して家庭を持ちたいと自然に思えるようになりました。彼との出会いは、私の価値観や人生観を大きく変えました。
そんな家族の大切さを教えてくれた友人には、きっといつか自分の家族を紹介して、私も夫となり父となったことを直接伝えたいと思ってきました。まさか隣国のアルメニアの女性と結婚するとは想像もしませんでしたが、今年やっとその夢が叶いました。彼と彼の家族も本当に心から喜んでくれて、長男を可愛がってくれました。その光景を見ていると、初めて出会った時のことが思い出されて、何だか泣けてきました。
この家族との運命的な出会いがなければ、アルメニアに住むことも、結婚して家庭を持つこともなかったかもしれません。彼らとの出会いに心から感謝したいと思います。
15年前、偶然声をかけられた時の写真。赤ちゃんは生後たった2ヶ月でした。
8年前にグルジアを再訪した時の写真。子供は7歳の可愛いらしい女の子に成長していました。
2年半前、結婚直後に妻と訪問した時の写真。妻のことも気に入ってくれて(互いに旧ソ連圏で問題なくロシア語で会話できるのです)、私の結婚を祝福してくれました。
そして、先月家族と訪れた時の写真。この15年間お互い人生でいろんなことがありましたが、ついに自分の家族を紹介することができました。本当に嬉しかったです。
- [2014/04/23 18:20]
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今日は復活祭
最近かなり暖かくなったので、やっと昨日セントラルヒーティングを切りました。今年は小さな子供がいたため、けっこう長くつけていました。12月と1月はすごく寒かったので、月のガス代が200ドルを越えて家計は大変でしたね…
一昨日は大学紹介のイベントで、ディリジャンという町の学校に行ってきました。学生一人がアシスタントとして来てくれたので、浴衣を着てもらい、私は子供たちに日本語(カタカナ)で名前を書いてあげたりしていました。毎年の行事で、遠足みたいで楽しいんですが、結構疲れます…
成績優秀な学生がアシスタントで来てくれました。浴衣も似合っていますね。
ディリジャンの町にある美術館に立ち寄りました。
帰り道の途中、セヴァン湖で少し休憩しました。
さて、今日はイースター、キリストが復活したことを祝う復活祭。クリスマスと同様、静かに家族でお祝いをします。前日に教会からろうそくの火を持ち帰り、魚、ドライフルーツのピラフ、イースターエッグという卵を食べます。そしてワインで乾杯します。
イースターエッグというのは、復活祭を祝うために装飾された卵のことで、通常タマネギの皮で煮出した汁で赤く染めます。卵は新たな命の誕生つまり復活を表し、赤はキリストの血を表しているそうです。アルメニアでは、この卵同士をぶつけて割れた方が負けというゲームをします。
しかし、昨晩私は日本人の方と夕食の約束があったので、この儀式に参加できませんでした。それで先ほど昼食で、家族と乾杯をして魚や卵を食べました。魚はポン酢をつけて美味しく頂きました。卵割りのゲームは長男とやったんですが(妻が手伝いながら)、私の卵が割れたので長男の勝ち!
このようなキリスト教の行事の翌日は、アルメニアでは墓参りの日としてお休みとなります。大学の授業もまた休み。最近よく授業がなくなっているけど大丈夫かな…
イースター前日の夕食。肉を食べてはいけません。
イースターエッグを興味深そうに触る息子。
- [2014/04/20 18:12]
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杏で花見パーティー!
かなり暖かくなった今日この頃。というか、日中は少し暑いぐらい。さすがに4月中旬ですからね。子供も気軽に外に連れ出せます。
さて、先週の日曜は、アルメニアで「ツァフカザルト」という名のキリスト教の祭が行われました。意味は花飾りで、イースターの一週間前に行われます。キリストがエルサレムに入城した際、住民がオリーブの枝を持って歓迎したことに由来しているそうです。アルメニアにはオリーブがないので、春の訪れを感じさせるネコヤナギの枝が飾られます。
しかし、今年はこの祭を見なかったので、詳しくは過去の記事をどうぞご覧ください(こちら)。では、何をしていたかというと…花見に行ってきました!
花見といっても、桜ではなく杏の花。先日、私が図書や浴衣などを寄贈したヒカリセンターで日本語を学ぶ学生の別荘に遊びに行ってきたのです。「別荘があるの?!すごい!」と思われるでしょうけど、ソ連時代には一般的だったダーチャと呼ばれる簡易別荘で、別にお金持ちじゃなくても持っている人はいます。
当日は、ヒカリセンターで日本語を教えるルザン副会長と学生、そして私たち在住日本人、総勢20人近いグループでバスを借り切って、ルサケルトという村にあるその別荘に行きました。途中、アルメニアのパン・ラヴシュの伝統的な工房に寄ったりもしました。しかし、ちらほら見える杏の花は、まだ2分咲きぐらい…エレバンより標高が高いので、花が咲く時期も遅いようです。
薄く延ばしたパン生地を地中に掘った釜の壁面に貼り付けて焼きます。焼きたては美味しかった。
別荘の庭にある杏の花も、やっぱり2分咲きでした。まあとにかく咲いてはいるし、花見って結局みんなで楽しく食べたり飲んだりするのがメインですからね。とりあえず杏の木の下にテーブルや椅子を並べて、それぞれ持ち寄った食事や飲み物を置いて、アルメニア初の花見がスタート!
おにぎりや巻き寿司、ちらし寿司なども並んで、とても豪華な食事。
予想通り食事と会話で盛り上がって、とても楽しいパーティーになりました。一人ずつ日本語で自己紹介したり、持ってきたギターを弾いて、みんなで日本の歌を歌ったりもしました。外で飲むお酒も美味しかったです(もちろん未成年の学生は飲んでません)。
途中、何と私の誕生日を祝ってケーキも登場しました。前日は私の40歳の誕生日だったんですよね。まさか祝ってくれるとは思わなかったので、とても嬉しかったです。
持参したギターを弾いて、日本の歌をいろいろ歌いました。
誕生日ケーキも登場。40歳の誕生日は、アルメニアではあまり祝ってはいけないらしいんですが、まあ翌日だし大丈夫でしょう。
息子も連れて行きました。ハンモックに揺られての~んびり。
2,3時間すると空が曇って寒くなったので、別荘の中に入ってパーティーを続行。今度は持ってきたカラオケで盛り上がりました。学生の多くは日本のアニメやドラマが大好きで、「ととろ」とか歌っていました。カラオケで日本の歌を歌うなんて初めて!という子ばかりで、とても楽しい思い出になったようです。
とにかくアルメニア初の花見、大成功でした。来年もまた集まってやりたいですね。
ととろのテーマ曲を歌う学生。アニメやドラマの歌なら、みんなけっこう知っているんですよね。
何だかカラオケボックスみたいになっていますね。今回別荘を使わせてくれた学生には感謝です。本当に楽しい1日になりました!
- [2014/04/16 21:54]
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