アルメニアまでの経緯3 

大分寒くなってきましたが、今年はリフォームで付けたセントラル・ヒーティングのお陰で、家の中はいつも暖かいです。ただ、ガス代が今からちょっと怖いですけどね…

さて、前回の続き。今日で終わればいいんですが…

偶然日本語を勉強している学生と出会ってから、私のアルメニア滞在は一転しました。当時のビザ有効期間である3週間をどうやって過ごそうか…と途方に暮れていたのに、それからは毎日いろんな約束が入って大忙し。よほど日本語を話す機会に飢えていたんでしょう。学生の方から、次々と予定を入れてきます。

一緒に観光に出かけたり、学生のお宅にお邪魔したり、授業に参加したりと、楽しくて毎日があっという間に過ぎていきました。ただの時間つぶしで訪れたアルメニアで、こんな素晴らしい経験ができるなんて予想もしませんでした。最後は、「グルジアにも戻りたいけど、アルメニアにもいたい…」と思うようになっていました。

英語さえほとんど通じないアルメニアで、日本語で意思疎通できることは、私にとって驚きと同時にとても嬉しいことでした。しかし、私以上に学生の方が、日本人と交流できることを喜んでいました。滅多にないこの機会に、日本語でたくさん話したい!日本や日本人のことをもっと知りたい!という熱意に溢れていました。

逆に、私はアルメニアにほとんど関心も知識もなかったので、申し訳ないというか、何だか恥ずかしかったです…それぐらい彼らは一生懸命に勉強していて、その姿に日本人として強く心を打たれました。と同時に、ある疑問がいつも頭をよぎりました。

どうして彼らは日本語を勉強しているのか?

とにかく不思議に思い、学生たちに率直に聞いてみました。すると返ってきたのが、「日本という国に興味がある」「日本の伝統文化に関心がある」「日本語は全く違う言語で面白い」「漢字が好き」という答えで、どの学生も純粋な動機ばかり。遠く離れて情報が乏しいと、余計に知的好奇心が沸くのかもしれませんね。

実を言うと、私は初め、「アルメニアで日本語を勉強して、一体何の意味があるのか…」と思いました。当時のアルメニアは、水や電気が一日数時間しか来ず、屋内でもすごく寒いし、洒落たレストランやカフェもなく、夜は大通りでさえ真っ暗…という状態で、今よりずっと貧しかったのです。

普段の生活からして大変で、多くの人がまともな職に就けないのに、日本語を使う仕事なんてまずありません。だから、なぜアルメニアの学生たちが日本語を学んでいるのか理解できなかったのです。しかし彼らは、打算もなく、見返りも求めず、一生懸命に勉強していました。そんな彼らのひたむきな姿は、私にとても大切なことを気付かせてくれました…

その時、私は日本を出て1年近くが経っていました。2年かけてユーラシア・アフリカ大陸を周るつもりだったので、ちょうど旅の折り返し地点に差し掛かっていたわけです。最初の半年は全てが新鮮で、とにかく旅が楽しくて仕方ありませんでしたが、次第にいろいろ考え始めるようになりました。

「この旅もいつか終わるんだよな…」「帰ったらどうしようか…」「旅で何を探しているんだろう…」 まあ、仕事を辞めて長期旅行に出た人なら、安宿のベッドの上や移動中のバスの中で、誰もがふと考えることなんですけどね。何の保証もなく旅に出ているんですから、こういう不安や悩みはあって当然です。

グルジアやアルメニアでも、時折そんなことを考えていました。しかし、アルメニアの学生たちを見ていると、自分の悩みがとてもちっぽけなことのように思えてきました。そして、「彼らは、将来や仕事のためとかじゃなく、今興味があることに必死に打ち込んでいる。それが、一番大事なことじゃないか!」と気付いたのです。

私も、「今、本当にしたいことを悔いなくやらなければ!」と思い、親に反対されながらも世界一周に出たはずなんですが、旅がある程度日常化してきて、自分の生き方に迷いが生じていたようです。そんな私にアルメニアの学生たちは、「今を大切に生きる」ということを教えてくれたのです。

学生にとって私という日本人との交流は、日本語の勉強になっただけでなく、素晴らしい思い出となったことでしょう。滞在中、よく彼らから、「こんなに日本人と話ができて嬉しいです。本当にありがとう!」と言われました。

でも、お礼を言いたかったのは私の方です。「かけがえのない人生をどう生きるべきか」ということを教えてくれたんですから…

今回も長くなりましたね…もう少し書きたいことがあるので、また次回。文才がないので上手にまとめられません。どうか最後までお付き合いください。

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何度か、大学の授業を見学させてもらいました。厳しい環境の中で、学生たちはとても熱心に勉強していました。まさか、この9年後に、自分が同じ大学で教鞭を取ることになるなんて…

アルメニアまでの経緯2 

週末は、アルメニア第二の都市ギュムリに観光に行ってきました。妻が通訳をしている日本の専門家の方々にご一緒させて頂いたのです。楽しかったけど、寒かった…

さて、前回の記事の続きです。

彼らが私のパスポートを見て驚いた理由とは…何と私と彼は同じ誕生日だったんです!彼の身分証明書を見せてもらうと、私より20年上ですが、確かに同じ誕生日。「なんだ、そんなことか」と思うかもしれませんけど、グルジアでたまたま仲良くなった人が同じ誕生日という出来事に、私は何か運命的なものを感じました。

その時は誕生日の約1か月前で、「来月、一緒に誕生日を祝おう!」と彼らに言われました。しかし、当時グルジアのビザは2週間しかなく、そのためには、ビザを延長するか、一度出国してビザを取り直すしかありません。そんなに長く滞在するつもりはなかったので、私は「ウーン、ちょっと難しいかなあ…」と答えました。

その話はそこで終わったのですが、彼らとはとても仲良くなり、ほとんど毎日お宅にお邪魔して、一緒に飲んだり食べたりしました。当時、彼は無職で(グルジアの多くの人がそうでした)、私という外国人と交流するのが楽しかったのでしょう。私も、その家族と一緒にいると温かい気持ちになれました。

そうやって共に楽しい日々を過ごしていると、「せっかくだから、誕生日を一緒に祝いたいなあ」と次第に思うようになりました。ビザを延長するか、もしくは一度出国するか…でも、またトルコに戻るのも面倒だし…と悩んでいる時、ふとアルメニア行きを思いつきました。「アルメニアを観光して戻ってくれば、誕生日祝えるやん!」

当時アルメニアビザは高くて躊躇しましたが、その方法がベストだと思ったので、ビザを取ってアルメニアに行くことにしました。つまり、最初アルメニアに行ったのは、グルジアの友人と誕生日を祝うための時間つぶしだったんです。まさか将来、自分がアルメニアに住むことになろうとは想像もしませんでした…

実際行ってみると、アルメニアも人が素朴で親切でとても良かったんですが、所詮は時間つぶし。そのうち、「早くグルジアに戻って友達に会いたいなあ…」と思い始めました。そんな時、エレバンの街中で、褐色の男性に声をかけられました。見た目、絶対にアルメニア人ではありません。聞くと、国際法を学ぶマレーシア人の留学生。

英語が話せるし、同じアジア人という親近感から仲良くなって、その後も数日会っていました。結局、彼は信用できないところがあり、次第に私は避けるようになりましたが、彼がある日、「ここで日本語を勉強している学生たちがいる」と言いました。

それを聞いて、私は信じられませんでした。だって、日本の大使館も企業もなく、日本人もいないのに、日本語を勉強している人がいるなんて…彼は「じゃあ、その大学に行ってみよう」と言うので、半信半疑のままついて行くと、ある建物の前に着きました。ちょうど授業が終わったのか、学生たちがぞろぞろ出てきました。

その中の2,3人の女の子が、私を見るなり驚いて、「日本人ですか?!」と叫びました。私は一瞬何を言っているのか分かりませんでした。まさか、アルメニア人に日本語で話しかけられるなんて思いもしませんから。しかし、彼女たちが発した言葉は、どう考えても日本語…

戸惑いながらも、「は、はい、日本人です」と答えると、彼女たちは「こんにちはー!」と嬉しそうに叫びながら駆け下りてきました。興奮のあまりか、一人は階段から転げ落ちました(本当です)。「だ、大丈夫?」と声をかけると、その子はヨロヨロと立ち上がって、「は、はい、すみません。大丈夫です!ありがとう!」。やっぱり日本語を話してる!本当に勉強してるんだ!マジ?!しかし、なんで???

そこからは、他の学生たちも集まって質問攻め。「お名前は?」「いつアルメニアに来ましたか?」「どうしてアルメニアに?」 全て日本語なのに、なぜか戸惑ってしまう私…やはり、アルメニアで日本語を聞くことが不思議でしようがありません。そんな私の戸惑いを他所に、学生たちは日本人と話せるのが嬉しくてたまらない様子。あの時の彼らの目の輝きは、今でも忘れられません…

この出会いをきっかけに、ただの時間つぶしだったはずのアルメニアが、その後の人生を変えるほど、私にとって大切な国になるのです。

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出会ってすぐに、観光案内をしてくれた学生たち。その後も毎日のように、いろんな学生が日本語で案内してくれました。

と、ここまでで既に長くなってしまったので、続きは後日。すみません、また途中になってしまって。なるべく早くアップします。しかし振り返ってみると、あの怪しいマレーシア人との出会いも、私の人生を変えるきっかけだったのか…

アルメニアまでの経緯1 

曇り空の天気が続いて、もうそこまで冬が来ていることを感じる今日この頃です。

さて、先日の日本語教師セミナーでも、「またどうしてアルメニアに?」という質問を受けました。これ、初対面の方には、ほぼ必ず聞かれる質問です。まあ、確かに疑問に思いますよね。政府派遣でも何でもなく、自分でアルメニアを選んで来たわけで、しかも80カ国以上も旅をして、なぜアルメニアなのか…

端折って説明することが多いので、今回は私がアルメニアに住むことになった経緯を書いてみます。

実は、私は元々グルジアにはすごく興味があったんですが、アルメニアには全く関心がありませんでした。ここでまた「なぜ、グルジアに?」という疑問を持つと思います。それは、15年前のある旅人との出会いがきっかけです。

私の学生時代というと、とにかくバイトして旅行するという生活でした。休みごとにバックパック一つ背負って海外に出ていたんですが、3年生の冬休みに中近東に旅立ちました。イスタンブールからカイロまで、中東諸国を巡る旅です。

出発点となったイスタンブールの安宿には、日本人の長期旅行者がたくさん滞在していました。面白い人ばかりで、毎日いろんな旅話を聞いているうちに、「自分もいつか長い放浪の旅に出よう!」と強く思うようになりました。

そして、一人の旅行者が見せてくれたのが、グルジアビザ。当時コーカサス諸国はかなりマイナーな地域で(今もか)、私なんかグルジアという国の存在さえ知らなかったぐらい。私は、「世界には、自分が知らない国がまだまだたくさんあるのか…グルジアという国も行ってみたいなあ」と好奇心が刺激されました。

その2年後、勤めていた会社を辞めて、貯めたお金で夢だった世界一周旅行に出ました。親にはかなり怒られましたけど…そりゃ、不況の中けっこう大きな企業に就職したのに、あっさり1年で辞めて、その理由が世界一周ですからね。しかも、帰国後のことは全く未定…怒るのも無理ありません。

それはさておき、船で上海に渡り、そこから西へ西へと旅して約1年経った頃、トルコに入国しました。そして、念願のグルジアへ向かったのです。その頃もほとんど情報がなかったので、一体どんな国か想像がつかず、期待と不安で胸が一杯だったことを覚えています。

グルジアは、当時まだ役人の腐敗がひどく、国境で賄賂を何度も要求されたり大変でしたが、一般の人々はとてもフレンドリーで親切でした。独特のグルジア文字、ソ連時代の面影、美しいトビリシ旧市街など、とにかく全てが新鮮で、私はすっかりグルジアが気に入りました。

しかも、天然の温泉が街中心部にあり、久々に熱い湯に浸かれるのが嬉しくて、毎日のように公共浴場に通いました。そして、温まった体で旧市街を散歩するのが日課になっていました。ある日、散歩の途中に公園のベンチで休んでいたら、隣のベンチのグルジア人男性に声をかけられました。

その中年の男性は、赤ちゃんを抱いた奥さんと一緒で、珍しく英語が話せます。「どこから来たのか」「観光で来たのか」といった他愛ない会話の後、彼が「すぐそこが僕らのアパートなんだけど、コーヒーでも飲まないか?」と誘ってくれました。

いい人そうだし、家族連れだし、まあ大丈夫だろうと、親切に甘えて彼のお宅にお邪魔しました。コーヒーをご馳走になっていると、彼が「日本人の旅行者なんて珍しい。もし良かったら、日本のパスポートを見てみたい」と言うので、見せてあげると…

「エーッ?!」と彼は驚いて、パスポートを覗き込んだ奥さんまで驚いた様子。いくら珍しいといっても、パスポートぐらいでそんな驚かんでも…と思ったんですが、彼に理由を聞いたら、私も「エッ!マジ?!」と驚いてしまいました。

と、ここまでで既に長くなってしまったので、続きは後日。気になる終わり方になってしまって、すみません…なるべく早く続きをアップします。

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初めて公園で出会った時の写真。当時生まれたばかりの赤ちゃんは、今12歳になっています。

第二回コーカサス日本語教師セミナー 

一昨日、グルジアから帰ってきました。けっこう疲れました。というのも、行きも帰りも、バスが国境以外ほぼノンストップで5時間以上走り続けたんです。トイレ休憩さえなし…そういえば、アルメニア側のイミグレが新しくなっていました。グルジア側は免税店もできて更に立派になっていましたね。

さて、目的の「コーカサス日本語教師セミナー」は本当に有意義で、少し無理してでも参加して大正解でした。いろんな国の先生方と知り合えたし、久しぶりにグルジアの友人にも会えたし、素晴らしい時間を過ごせました。

二回目となる今回のセミナーは、トビリシの自由大学で行われました。参加国は、南コーカサス三国とトルコ。去年の第一回目はアゼルバイジャンのバクーだったので、アルメニアからの参加は不可能でした。しかし、グルジアならどの国からでも大丈夫です。

ただ残念ながら、今回アルメニアからの参加者は私一人だけ…他の先生方は諸事情で不参加でした。まあ、それでも遂に、南コーカサス各国の参加者が一堂に会したわけです。そういう意味で、やはり行って良かったです。

セミナーは二日間でしたが、私は初日の夕方に到着したので、二日目のセミナーに参加しました。セミナーでは、簡単にアルメニアの日本語教育の現状を紹介させて頂きました。そして、二人のトルコ人の日本語研究者の発表を聞かせて頂きました。

皆さん、私のアルメニアについての発表を熱心に聞いて下さり、いろいろと質問もありました。普段ほとんど交流がないですからね。あと、トルコ人の先生方の発表も、大変興味深いもので、いい勉強になりました。

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発表されるトルコ人の先生。とても内容の濃い発表で、いい勉強になりました。

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セミナーの後は、トビリシの街を少し観光しました。12年前の街並みを知る私にとって、今はカジノや近代的な建物がやたら増えてしまって、ちょっと複雑な気分…

懇親会には二日とも参加して、グルジアのワインと料理に舌鼓を打ちながら、楽しく盛り上がりました。皆さん、さすがに日本語が上手で、全く問題なく話ができます。私はトルコとグルジアには何度も行ったことがありますが、実はアゼルバイジャンに行ったことがありません。

ですから、アゼルバイジャンの方々とこんなに触れ合ったのは初めて。気さくで親切な方ばかりで、いろいろとお話することができました。やはり、時々アルメニアのことを良く思っていないように感じましたが、それもこれも領土争いという政治問題が原因…その問題さえなければ、同じ人間として、同じコーカサス人として、一緒に食事をしたり、話したりできるのかもしれません。私の住むアルメニアの置かれた複雑な状況を痛感すると共に、いつか周辺諸国と平和に共存してほしいと強く思いました。

そのためには、やはり少しずつお互い交流することが大切。今回のように、コーカサス諸国・トルコの人たちが、「日本語教育の発展」という共通の目的で集まったのは、大変意義深いことだと思います。このような機会が増えていくことを切に願います。

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やっぱりグルジアのワインと料理は美味しかった!みんなで同じものを食べて飲んで、笑って話す。そうすれば、国・民族が違っても交流できます。とても楽しく有意義なセミナーでした。

グルジアへ行ってきます 

また毎日天気が良くなりましたが、やはり少し寒くなりましたね。

先週からずっと、日本人会副会長のお宅に住んでいます。というのも、ご夫婦で不在なので、私たちが猫の世話をしているんです。久々のエレバン中心部での生活。やっぱり便利です。

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可愛い猫2匹。大きいのがニャース。体重8kgの巨漢。小さいのがミミ。

さて、今日グルジアへ行ってきます。「第二回コーカサス日本語教師セミナー」に参加するためです。最近忙しくて参加できるかどうか微妙だったんですが、一日だけでもと思い、参加することにしました。

実は、昨年第一回目のセミナーがアゼルバイジャンで開催され、私も招待されたのですが、事情があって残念ながら参加を見合わせました。その事情というのは、私のパスポートに貼ってあるナゴルノ・カラバ フ共和国のビザ…

アゼルバイジャンとの間で領土問題となっているナゴルノ・カラバフ共和国に行ったことがあり、そのビザがパスポートに貼られているので、アゼルバイジャン入国の際に問題になるかもしれないと思ったのです。あと、アルメニアの滞在許可証を持っているのも問題なりそうでしたし…

今回はグルジアでの開催ということで、何も問題はありませんし、アルメニアから誰か一人でも参加した方がいいですからね。そして、他国の日本語教師の方々と交流する良い機会です。

グルジアは1年ぶりなので、楽しみにしています。それでは行ってきます!