よいお年を! 

あと少しで大晦日、2011年も終わりですね。海外生活が長いと、平成何年か分からなくなりますが、とにかく間もなく新年を迎えるわけです。エレバンの街も、イルミネーションに飾られて美しいです。

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去年と同じく、年末年始は妻の実家で過ごす予定です。しかし、去年の今頃はまだ友人だったので、1月3日頃にはアパートに戻りました。今はもう家族ですから、6日のクリスマスまで滞在すると思います。といっても、アルメニアのお正月は、いろんな人の家に遊びに行くのが慣わしなので、あまりのんびりできないかもしれません。

とにかく、みんなで食べて飲んで新年を祝います。ですから、いつ人が来てもいいようにと、女性たちは今買い物や料理で大忙し。妻も時々実家に帰って義母の手伝いをしていますし、スーパーや市場もお客さんで一杯です。「年末だなあ…」と感じますね。

さて、今年は私にとって、大きな人生の転機となる年でした。結婚して伴侶を持つことになりましたから。遠く離れたアルメニアの国の女性と結婚するなんて、自分の人生に起こるとは想像もしませんでしたが、多くの人に心から祝福してもらい、本当に幸せな一年になりました。

しかし、日本の国にとっては大変な一年でした。3月11日の東北地方を襲った大災害…多くの命が失われ、いまだに苦しい生活を強いられている人たちがたくさんいます。衝撃的な映像を見たり、悲惨なニュースを聞いたりして、遠いアルメニアにいる私も涙を流し、体調を壊すほどのストレスを感じました。

こういう災害が起こるたび、大自然を前にした人間の無力さを痛感します。そして今回は、原発事故という人災が起こり、私たち人間のあり方そのものについても考えさせられました。アルメニアも原発が稼動しているので、他人事ではありません。日本が早くこの危機を乗り越えることを祈っています。

私も、今年はいいことばかりではなく、大変なこともありました。5月に念願の日本文化センターを開設したのですが、諸事情により10月に閉鎖することになってしまいました。ご協力頂いている方々には申し訳ない気持ちで一杯です。来年、また新たな場所で再開するために頑張りたいと思っています。

それに、来年は日本・アルメニア国交樹立20周年!まあ、独立したのが21年前ですから、大体その時期にいろんな国々と国交を持ったのですが、とにかく両国にとっては記念すべき年です。両国の絆が深まるよう、来年は何かイベントなどができればと考えています。

私は、いつも新年に祈ることがあります。それは、「いい出会いに恵まれますように」。今年もいろいろありましたが、出会いに恵まれた素晴らしい一年でした。来年もそんな年になるよう、これからも感謝の気持ちを忘れず、自分が信じる道を頑張って歩んでいこうと思っています。

お世話になった方々、今年はどうもありがとうございました。来年もどうぞ宜しくお願いします。それでは、みなさんよいお年をお迎え下さい!

今年を簡単に振り返るスライドショーを作ったので、どうぞご覧下さい。


去年もスライドショーを作りましたが(こちら)、今年のBGMは赤い鳥の「翼をください」。私が最初に学生たちに教える日本の歌で、みんなのお気に入り。結婚式でも歌いました。来年が更なる飛躍の年になりますように!

アルメニア人虐殺否定禁止法案 

24日の夜は友人宅で食事会が開かれ、とても楽しい時間を過ごしました。お陰で、素敵なクリスマスイブとなりました。

さて、先週フランスの下院で、「アルメニア人虐殺否定禁止法案」が可決されました。上院での採決はまだですが、当然トルコは猛反発しています。駐フランス大使の召還などを表明し、「フランスは自国の血塗られた歴史をを見直すべき!」と激しく抗議しています。

仏下院がアルメニア人虐殺否定禁止法案を可決

確かにフランスは、アルジェリアでは無差別攻撃で市民を虐殺したり、ルアンダ内戦では虐殺に加担したりという歴史があります。アルジェリアの大統領が公式謝罪を求めた時、フランス政府は「歴史を明らかにするのは政治家ではなく、歴史家の仕事だ」と拒否したそうです。

そのフランスが可決したのが、「オスマントルコによるアルメニア人虐殺を公の場で否定することを禁止する」法案。実は、前回選挙前の2006年にも下院で可決されたのですが、4年間も未処理のまま放置され、今年上院が不受理を決めました。ですから、今回も来年の選挙をにらんだ集票対策との見方が強いです。

フランスには、50万人ものアルメニア系住民がいますからねえ。しかも、フランスのアルメニア・ロビーの力は相当強いそうです。このタイミングを見ると、あからさまな選挙対策に思えて、真剣に成立させる気があるのかどうか怪しいです。

とはいえ、さすがに2度目ですから、今回は上院でちゃんと審議されて可決される可能性もあります。しかし、それはちょっと…というのが、私個人の気持ちです。虐殺の事実はあっただろうという立場ですが、国家権力で思想や主張を制限することには賛成しかねます。

4年前、フラント・ディンクというジャーナリストが、極右のトルコ人青年に暗殺されました。アルメニア系トルコ人だったディンク氏は、ずっと虐殺の事実を告発してきましたが、フランスのこのような動きには反対していました。ジャーナリストだった彼は、言論の自由の大切さをよく分かっていたのでしょう。

しかし、もうすぐ100年が経つ虐殺の記憶はどんどん風化しています。アルメニア人が伝え続けても、国際的には忘れ去られる恐れがあります。そういう意味で、今回の法案問題は、虐殺の歴史が改めて注目される良いきっかけかもしれません。ただ、言論の自由の観点から、法案の可否には慎重になるべきだと思います。

過去にもう一つのブログで、この問題について書いたことがあるので、そちらもどうぞご覧ください。

旅をする木 「言論の自由」

寒い寒い週末 

もうすぐクリスマスですね。多くのキリスト教国では、今クリスマスムード一色でしょう。しかし、世界最古のキリスト教国アルメニアのクリスマスは1月6日。街中はクリスマスの装飾がされていますが、いつもと変わらない週末です。

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しかし、毎日寒い!昨晩はずっと雪が降って、今朝起きるとエレバン中心部も真っ白でした。同じ寒いんだったら、雪が降った方がきれいでいいですね。ただ、道が滑りやすくなって危ないですが…

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今のアパートは洗濯機がないので、洗濯は手洗い…さすがにシャワーのお湯を使ってやっていますが、手で絞るから水分がかなり残ります。で、この寒さの中で外に干すと、1,2時間でカチカチに凍ってしまいます。そういえば、以前にも同じようなことを書きました(こちら)。

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外に干していた服は、万歳したままの状態で固まってしまいました。仕方ないので、もう一度室内で干します。冬の生活は大変。ハァァ、お風呂にも入りたいなあ…

ズヴァルトノツ古代遺跡 

昨日は、金正日総書記と、チェコのハヴェル前大統領の死去のニュースがありました。日本は、北朝鮮の話題で持ち切りだったようです。ハヴェル氏は、ビロード革命を主導して、共産党政権を倒した人物。この対照的な二人の訃報が同日に伝えられるなんて、何か不思議ですね。

さて先月初め、サルダラパットを訪れた後、私たちはズヴァルトノツ古代遺跡にも足を延ばしました。エチミアジン大聖堂の近くで、大聖堂と共に世界遺産に登録されています。エレバンのズヴァルトノツ国際空港は、この遺跡の名を冠しています。

元々は「聖グリゴル・ルサヴォリチ大聖堂」と呼ばれ、7世紀にカトリコス・ネルセス3世によって建てられました。現在では、大聖堂の原型はほとんど残っていません。

しかし、当時は45mもの高さがあり、「天使の大聖堂」と呼ばれる立派で荘厳なものだったそうです。10世紀に地震によって倒壊し、20世紀初頭まで埋もれていました。遺跡内には、カトリコスの宮殿やワイナリーの跡も残されています。

エチミアジン大聖堂まで行ったら、是非ズヴァルトノツ古代遺跡も訪れてみて下さい。

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大聖堂の列柱、宮殿やワイナリーの跡などを見ることができます。また、晴れた日にはアララト山もきれいに見えます。 ちょうど新婚さんが写真撮影に訪れていました。

サルダラパットの戦い 

毎日、寒いです。うちはシャワー以外はお湯が出ないので、洗い物がつらい…今は妻もやってくれますけど、いつでもお湯が出る家に住みたいもんですね。

さて、先月初めのことですが、、染織品の保存修復のワークショップで来られた方々が、サルダラパットのモニュメントと博物館を訪問されました。その時も妻が通訳をしたのですが、私もご一緒させて頂きました。

サルダラパットという地名なんて、聞いたことがありませんよね。しかし、アルメニア人にとっては、とても大切な場所。というのも、アルメニア人がトルコ軍と戦い抜き、国を死守した歴史的な場所なのです。

1918年、ロシア革命によって空白地帯となったコーカサスに、オスマントルコが侵攻しました。首都エレバンに迫ったトルコ軍を、サルダラパットでアルメニア軍と義勇兵が迎え撃ち、9日間の戦いの末に撃退しました。

圧倒的に有利なトルコ軍に立ち向かうため、知識人や女性までもが戦いに参加しました。この「サルダラパットの戦い」は、最も重大な出来事の一つとして、アルメニアの歴史に深く刻まれています。

「もしあの戦いでトルコ軍に負けていたら、アルメニアという国は、この世から消えていたかもしれない…」 これはある歴史家の言葉ですが、それほどアルメニアにとって重大な勝利だったわけです。しかし、その2年後に、エレバンはソ連赤軍によって占領されてしまいます。

ソ連時代に、サルダラパットには、戦いの勝利を記念して巨大なモニュメントと博物館も建てられました。アルメニアを救った戦い、そして命を賭けて戦った勇者たちを、いつまでも忘れないためです。エレバンから車で1時間ほどの所なので、機会があったら是非訪れてみて下さい。

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モニュメントには、大きな牛の像と鐘楼が建っています。両側に立つ牛は、戦った勇者たちと彼らの勝利を表していて、今もアルメニアを守っているのだそうです。

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中央に建つ鐘楼。戦いの9日間ずっと、大司教の命によって教会の鐘が鳴らされていたそうです。鷲の像は、戦いで亡くなった人たちの魂を表しています。

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蛇と戦うペガサスの彫刻(左)。蛇は侵略者、ペガサスはアルメニアを表しています。戦いに参加した人たちの彫刻(右)。聖書を持つ神父や女性たちの姿もあります。

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サルダラパットの博物館の展示物。けっこう立派な博物館で、戦争に関する資料の他に、美しいアルメニアの刺繍や絨毯なども展示されています。