ある授業で 

「虐殺の犠牲者の記念日」も終わり、全てが通常通りに戻っています。テレビでも、虐殺関係の番組はもうしていません。でも一昨日の夜に、ナチスのユダヤ人迫害を描いた映画「戦場のピアニスト」をやっていました。同じ虐殺の歴史を持つアルメニア人たちは、どのような思いでこの映画を見たのでしょうか…

今週ある授業で虐殺の話になり、学生たちといろいろ話すことができました。普段この話題にはあまり触れないんですが、記念日の直後でよい機会だと思い、率直に学生たちと話をしてみました。

当然ですが、やはり彼らはトルコが嫌いです。記念日に、若者たちがトルコ国旗を燃やす様子をテレビで見ました。虐殺を認めず謝罪していないトルコは許せないのです。「もしトルコが謝ったら、虐殺のことを許して仲良くできますか?」と聞いたら、「謝ったら大丈夫」という学生は1人だけで、他の学生たちは「言葉だけでは少なすぎる。私たちのアララト山や土地を返すべき」」と答えました。

被害者側の気持ちとしてはよく理解できるんですが、そんな要求を恐れてトルコは虐殺を認めたくないように思います。とても難しい問題ですね…あと、「ずっと家や学校でトルコは悪いと教えられたから、トルコ人を信じられないし、好きになれない」とも言っていましたから、やはり教育の影響も大きいようです。

ある学生から「原爆を落とされたのに、どうして日本人はアメリカに怒らないんですか?」と質問されました。とてもいい質問ですが、どのように説明するか…個人的には、戦争終結のためという大義名分ではなく、アメリカは他の目的のために原爆を使ったと思っています。米軍占領時の教育やプロパガンダも、日本人の意識に多大な影響を及ぼしたでしょう。

しかし、そんなことまで説明する必要はないと思ったので、「戦争に本当の正義とか悪とかない。もし人をたくさん殺しても、最後に勝った方が正義になってしまう。戦争が起こった責任は日本にもあるから、アメリカに怒っても意味がない」と答えました。憎しみの連鎖からは何も生まれないということを伝えたかったのです。

「もしトルコ人の友達がいたら、それでもトルコが嫌いで信じられないですか?」と最後に聞きました。学生たちは、うううん…と考えた後、「トルコ人と友達になるのは難しいですが、もしいたらトルコと仲良くしたいと思うかもしれません」と答えました。その答えを聞いて、ホッとすると同時に少し希望を持てたような気がしました。

この問題については、フィリピンでも一度考えさせられました。(こちら)

虐殺の犠牲者の記念日 

今日4月24日は「虐殺の犠牲者の記念日」。虐殺という悲惨な歴史を持つアルメニア人にとって最も重要な日の一つです。1915年イスタンブールでアルメニア人活動家たちが殺された4月24日は、虐殺が開始された記念日とされています。アルメニア人虐殺については、過去の記事をご覧ください(こちら)

テレビでは虐殺についての番組を流し続けていて、前夜はキャンドルを持った若者たちが、エレバン中心部から虐殺記念碑までの道のりを歩きました。雨が強く降っていましたが、その中を大勢の人達が歩いているのをテレビで見ました。まるで空までが涙を流し、アルメニア全体が喪に服しているようでした。

当日の今日は、更に多くのアルメニア人たちが慰霊のために記念碑を訪れます。多くのアルメニア移民たちも、この日のために祖国に戻ってきているそうです。私も友人と一緒に行ってきました。午前中まで雨は降り続いていましたが、私たちが行った午後には止みました。記念碑は郊外の丘の上に建っていて、麓から歩いて向かいます。麓に着いたときには、既に長い長い列ができていました。

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記念碑の麓では、たくさん花が売られていて、私たちもそこで買いました。記念碑までの道は、多くのアルメニア人で埋め尽くされていました。

友人と話しながら、ゆっくりと記念碑まで歩きました。道の所々に設置されたスピーカーから悲しい音楽が流され、否が応でも重々しいムードが漂います。「人が多いから1時間以上かかる」と聞いていましたが、午前中の雨で人が少なかったせいか、40分ほどで着きました。記念碑の周りには、すでに無数の花が捧げられていました。

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記念碑までの長い行列。思ったよりも早く着きました。記念碑の周りの花々(右)。

記念碑の中心には慰霊のための火が灯されていて、人々は次々とその周りに花を置いていきます。そして十字を切り胸に手を当てて、虐殺の犠牲者のために祈るのです。切れることなく花と祈りが捧げられていきます。私もそんなアルメニア人たちと共に花を捧げたら、少し悲しい気持ちになりました。

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記念碑では、多くの人々が花を捧げて祈っていました。燃え続ける火の周りは、無数の花で飾られて大変美しかったですが、厳粛で重々しい空気が流れていました。

たくさんのテレビ局も取材に来ていて、外国人で珍しいからか、私は2回取材を受けました。どちらも、「どうしてここへ来たのか?」「虐殺は事実だと思うか?」という質問でした。私は、「アルメニアが好きだし、住んでいるので、この国の悲劇を記念する行事に参加したかった」「多くの人が殺されたことは事実だと思う」と答えました。

多くのアルメニア人にとって、今日は犠牲者のために祈ると同時に、トルコの蛮行を思い返し、民族意識が高揚する日なのかもしれません。トルコ政府は、いまだに虐殺を認めず謝罪していませんから。しかし第三者の私にとって、今日は人間の愚かさを思い返し、同じ悲劇を繰り返してはいけないと誓う日ではないかと思います。

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虐殺の犠牲者のためにも、早く憎しみや争いのない平和な世界になってほしい…今日アルメニア人たちと共に記念碑を訪れて、改めてそう強く思いました。(関連記事)

心の声を信じて 

私は現在アルメニアで日本語を教え、図書室を作る活動をしています。周りには「なぜそこまでアルメニアにこだわるのか?!」と言われますが、当然の疑問です。給料はスズメの涙で、貯金を切り崩しながら生活していますし、政府派遣とかではないので、大した経歴にもならず、この後の身の振り方なんて決まっていません。正直言うと、すごい孤独と不安に襲われる時があります。

異国で1人でいると心細くなる時はありますし、経済的に苦しいと精神的な余裕もなくなってきます。いずれ貯金が底をつけば、アルメニアにいられないので、その後のことを考えると不安になります。30代後半になった自分が帰国しても、日本社会に受け入れてくれる余地があるとは思えません。更にこの大不況ですからね…

一時帰国中、些細なことから父親と口論になり、その時に「老後はどうするんだ?!」「いつまでそんなバカな生き方をするんだ?!」「もう36歳にもなるのに、いい加減にしろ!」と怒鳴られました。息子を心配する親にしたら当然の怒りですし、私も申し訳ない気持ちがあるので、何も反論できませんでした。

それでも、自分の選択に後悔はありません。10年前に訪れた時からずっと、アルメニアのことが心の片隅にありました(こちら)。この選択をする時もかなり悩みましたが、自分の心の声はいつも聞こえていました。それは、「やはりアルメニアに行かなければ…」という声。ただの思い込みと言われるとそれまでですが、私はそれを自分の運命と感じました。

もし神様がいて、私という人間に人生の宿題をいくつか課したならば、アルメニアで日本語を教えるということはその宿題の一つだと思えたのです。大袈裟かもしれませんが、その思いが自分をここまで突き動かす原動力でした。誰もいつ死ぬかなんて分からないのだから、自分のやりたいこと、やるべきことを成し遂げて悔いのないように生きた方がいい。ずっとそうやって生きてこれた自分は、すごく幸せな人間だと思います。

それと同時に、今たとえ幸せでも将来はどうなるのか…そんな漠然とした不安に苦しむ弱い自分がいることも確かです。「そろそろ落ち着くべきか」「これはバカな生き方か」という考えが頭をよぎる時があります。しかし、私が今できることは、自分の選択は正しいと信じてアルメニアで頑張ることだけです。心の声が導く方向へ歩いていけば、きっと新たな道が開けてくると信じて…

この記事を書こうと思ったのは、スティーブ・ジョブス(アップル社の創設者)の有名なスピーチを読んだことが一つのきっかけです。フィリピンの親友が教えてくれたのですが、本当に素晴らしいスピーチなので、皆さんも読んでみてください。(下をクリック)

スティーブ・ジョブスのスピーチ

ヴィジョンの会からの寄贈図書 

アルメニアに本を送る会の活動について、最近は全く記事がありませんでした。3月頭に本棚を購入した以外は、特に記事で伝えるほどの動きはなかったのですが、2週間ほど前に本の運び込みを行いました。

去年末から届いていた本を全て、開設先のヨーロッパ大学と柔道連盟事務所に運び込みました。700冊近い本が運び込まれ、それぞれの図書室の本棚が新たに2つ近く埋まりそうです。本を並べる作業はまだ全て終わっていません。貸出に備えて、本の分類をし直してから並べようと思っているからです。

届いた本の中には、「ヴィジョンの会」からの寄贈図書もありました。ヴィジョンの会は、英語で書かれた日本に関する図書を世界の国々に寄贈されている団体(こちら)。去年は柔道連盟の図書室に置いたのですが、ヨーロッパ大学にも置きたかったので、寄贈をお願いしたのです。

小説、マンガ、文化芸術など、幅広く日本を知ることができる図書を寄贈してくださいました。とても興味深い内容のものばかりで、また英語で書かれているので、日本語が分からなかったり、まだ上手ではないアルメニア人でも読むことができます。本当に素晴らしい寄贈図書です。

本当にありがとうございました!大切に使わせて頂きます。

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ヴィジョンの会からの寄贈図書。サザエさんのマンガ、村上春樹の小説、浮世絵や武道、陶芸や料理に関する本など、バラエティに富んでいて、いろいろな面から日本を知ることができます。何より英語で書かれているのは有難いですね。

36回目の誕生日 

一昨日4月12日は、私の36回目の誕生日でした。30代後半という微妙な年齢になったわけですから、それほど嬉しいものではありませんが、アルメニアで迎えた記念すべき誕生日です。

その日授業があった家庭教師の学生たちは、ケーキやプレゼントを持って来てくれました。授業がない学生は、「おめでとう!」と電話をしてくれました。

あとびっくりしたのは、大学の4年生の学生たちがケーキとワインとプレゼントを持ってアパートに突然来てくれたこと。どうして今日が誕生日なのを知っているのか驚きましたが、授業中に聞かれて日にちを言ったことがあるそうです。私はそれを覚えていないのに、学生たちはちゃんと覚えていて、わざわざお祝いに来てくれるなんて…本当に嬉しいですね。

一緒にワインで乾杯して、ケーキを食べました。しかし、ケーキは全部で三つ。ワインはすぐ飲み干してしまうと思いますが、男1人で大量のケーキをどうやって食べればいいんでしょうか…せっかく頂いたものですから、家庭教師の学生たちと少しずつ食べたいと思います。

アルメニアに来てまだ1年も経っていないですが、自分のことを思ってくれる人達がいるということを実感できた素晴らしい誕生日になりました。

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4年生からもらったケーキ。ケーキ作りが好きな1人の学生が作ってくれました。右は、学生たちからのプレゼント。アルメニア音楽のCDや笛、民芸品などです。お祝いしてくれて本当に嬉しかったです。