エレバン建都2791周年 

先週の日曜は、首都エレバンの建都を祝う日でした。街中にアルメニア国旗が掲げれられて、ずっとお祭り騒ぎでした。紀元前8世紀頃に築かれたエレブニ要塞が、エレバンの街の基礎になっているのですが、それから数えて今年は2791年目に当たるそうです。

2791年って…古いですねえ。さすが、現存する世界最古の都市の一つです。アルメニアは、今では四国ほどの小国ですが、紀元前1世紀頃に大アルメニア王国を築き、国際商業で栄えた長い歴史がある国。前述のエレブニ要塞の遺跡も残っていて、そこでも建都を祝う式典があったようです。

共和国広場周辺の大通りは歩行者天国になり、至る所で野外コンサートが開かれ、大勢の人々が街に出て、祝日を楽しんでいました。その様子をお伝えします。

 

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エレバンの街中にアルメニア国旗が掲げられていました。大通りでは、アルメニア人画家たちの作品が展示されたり、子供や若者たちが練り歩いたりしていました。この日は、エレバン市民の愛国心が高揚していました。

 

 

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子供たちが民族衣装やダンス衣装を着ていました。よく似合っています。公園では、子供連れの家族がたくさん集まっていました。顔にペイントした子供たちもいて 、可愛かったです。

 

 

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民族衣装を着た人たちによる、伝統的な歌と踊りのコンサートも行われていました。その周りでは、音楽に合わせて観客たちも踊っていました。小さい子供も、上手に、そして楽しそうに踊っていました。

 

 

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野外コンサートでは、有名な歌手も出演していました。夜には、共和国広場で大きなコンサートが行われて、ものすごい人が集まっていました。人が多すぎて、ショー自体はほとんど見えませんでしたが、花火がいくつも打ち上げられて、大変な盛り上がりでした。

 

街全体が賑やかで、人々も楽しそうでした。自分が、歴史あるエレバンの街に住んでいるということを、改めて実感した1日でした。

アルメニア人ピアニストの来日公演 

アルメニア人ピアニスト・スヴェトラーナ・ナバサルジャン女史の、来日公演が来週から開催されます(詳細はこちら)

この来日公演を企画されているのは、日本ユーラシア協会。日本と旧ソ連諸国の交流促進のために、長い間活動されている団体です。アルメニアに本を送る会の活動にも、ご協力頂いております。

大作曲家ハチャトゥリアンはアルメニア人。そのアルメニアのピアニストの演奏を聞きに、是非コンサートへ足をお運びください!

アルメニア人虐殺問題 

最近は、アルメニアとトルコの国交正常化に向けた動きについて、記事を書いています。1世紀に及ぶ断絶の歴史に終止符が打たれるのか…アルメニアに住んでいる私としては注目すべき事です。しかし、過去の虐殺を巡る両国の歴史認識には、相当の隔たりがあります。

「アルメニア人大虐殺」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、オスマン帝国が行ったとされるアルメニア民族に対する迫害事件のことです。特に、第一次大戦中に起こったアルメニア人強制移住では、数百万単位の犠牲者が出たとも言われています(詳しくはこちら)

アルメニアは、組織的虐殺としてトルコを非難し続けています。また、海外のアルメニア系移民のロビー活動も強力で、フランスでは「アルメニア人虐殺否定禁止法」という言論の自由を制限する法律が可決したほどです。しかしトルコ政府は、「あくまで戦時中の強制移住によって、結果的に大量のアルメニア人の犠牲者が出てしまった」と、頑なに組織的虐殺を否定しています。犠牲者の数についても、両国間でかなり意見が異なります。

1915年の虐殺が開始された4月24日は、アルメニアでは「虐殺の犠牲者の記念日」とされていて、エレバンの丘の上にある虐殺記念碑に、多くの人々が慰霊に訪れます(偶然ですが、アルメニアに本を送る会の発足日も4月24日)。アルメニア人にとって、この民族の悲劇は忘れ難い歴史なのです。

虐殺の規模や経緯については、諸説あり、私としては一つの見方になるべく偏りたくはありません。しかし、多くの罪のない人々が命を落としたことは事実です。アルメニアとトルコが、今後の対話を通して、少しずつ歩み寄ってほしいと願います。

 

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エレバンの虐殺記念碑。慰霊碑では、常に火が燃やされています。4月24日の記念日に、多くの人々が慰霊碑まで歩いて花を捧げます。併設された博物館では、虐殺について、写真や文献などで詳しく説明されています。当然アルメニア側の見方ですが、この虐殺問題は日本で知られていないので、アルメニアに来られたら、是非訪れてほしい場所です。

アルメニア大統領がトルコを訪問 

アルメニアのサルキシャン大統領が、南ア・ワールドカップ予選のアルメニア対トルコのサッカー試合を観戦しにトルコを訪問しました(こちら)。試合は、2-0でアルメニアがトルコに敗れましたが、無事に両国の大統領は試合観戦と会談を終えたようです。

国交樹立への流れを後押しするためのトルコ訪問。しかし国内では、この関係正常化に対して強い反発があり、議会での批准が難航する可能性もあります。アルメニア人にとって、過去の虐殺問題を無視したまま、トルコと手を組むなんて耐え難いことなんでしょう…

では国交がない今、アルメニア人がトルコに行くことが全くできないのか…というと、そうではありません。実は結構アルメニア人は、トルコへ行き来しています。エレバンとイスタンブールを結ぶ直通バスも運行されていますし(グルジア経由で2日かかるけど…)、物が豊富で安いトルコに買出しに行き、それを売って生活している人たちもたくさんいます。

またトルコには、現在も5万から7万ものアルメニア人がおり、その多くはイスタンブール周辺に住んでいます。先月も、イスタンブールから遊びに来たという、トルコ在住のアルメニア人のグループに会いましたが、彼らは今回の和解交渉について、どのように感じているのでしょうか…

 

トルコのギュル大統領は、「我々が歴史を築く」と語ったそうです。1世紀に及ぶ断絶関係を乗り越えて、今後どのように両国の新たな歴史が築かれていくのか…しっかりと見守っていきたいと思います。

和解に向けた署名 

先週10日に、スイス・チューリッヒで、アルメニアとトルコの国交樹立合意文書の署名式が行われました。文書への署名はなされましたが、両国の声明文の読み上げは結局取りやめになったようです。

アルメニアが実質支配するナゴルノ・カラバフの領土問題を巡って、互いに主張を譲らなかったのが原因だと伝えられています。アゼルバイジャンはトルコの友好国ですから、トルコとしては、立場上アルメニアに擦り寄ることはできなかったのでしょう。

歴史的な和解の瞬間になるはずだったのですが、やはり両国間の溝が深いことが露呈してしまいました。今回揉めたナゴルノ・カラバフの問題だけではなく、過去のアルメニア人大虐殺を巡る歴史認識の対立は根深いです。トルコはいまだに虐殺の事実を認めていませんし、謝罪もしていませんから、アルメニアでは国交回復に対して強い反発があります。

共和国広場では、先月から一部の市民によって、ハンガーストライキが行われています。「虐殺の歴史に目をつぶって国交樹立を進めるべきではない!」というのが、彼らの主張です。毎日多くの人々が足を止めて、ストライキの詰め所で賛同の署名していました。行動に出ていなくても、同じように考えるアルメニア人が多いのでしょう。

教え子の一人も、「トルコの地図には、アルメニアの国がありません(本当か?)。これでは仲良くなれないと思います。トルコを信じられません。」と言っていました。私としては、いつまでも対立し続けるのは良くないのではないか、交流していく中で認め合い、許しあっていけるのではないか…と考えるのですが、やはり当事者であり被害者のアルメニア人にとって、それは決して簡単なことではないのです。

とにかく両国の和解へ至る道は、まだまだ前途多難です。和解の背景にある思惑はともかく、せっかく動き出したのですから、少しずつ良い方向へと向かっていってほしいと思います。

 

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共和国広場のハンガーストライキ。30人ほどの市民が、水だけ飲んで泊り込みでストをやっていました。「アルメニア人虐殺は事実だ!トルコの提示する条件にはNO!」と書かれています。トルコによる虐殺の生々しい写真も展示されていました。