一時停戦の合意が成立
今週に入ってから暖かくなって、もうジャケットは要らないほどの陽気です。やっと待ちわびた春が来たようです。
さて、ナゴルノ・カラバフ共和国の国境地帯で続いていたアルメニアとアゼルバイジャンの軍事衝突ですが、昨日正午に一時停戦の合意が成立しました。しかし、散発的に銃撃などが続いているそうです。
まだまだ予断を許さない状況ですが、今後OSCEなどの国際機関も交えて協議が行われる予定です。戦闘が激化する一方だったので、とりあえず停戦合意がなされたことは良かったです。全面戦争に発展する可能性は低いと個人的には思っていますが、やはり少し不安でした。
たった数日の交戦で、多くの尊い人命が失われてしまいました。そのほとんどは20歳前後の若い兵士…家族や親戚の悲しみを思うと、私も子を持つ親ですから、本当に辛くてやり切れません。犠牲になった人たちのためにも、一刻も早く事態が収束してほしいと願います。
私が住む首都エレバンは至って平穏だったとはいえ、やはり普段とは少し違っていた部分もありました。ニュースは全てこの話題で、大学内も何だか騒然とした雰囲気でした。前線で戦う兵士たちのために献血や食糧物資の寄付活動が行われ、志願兵の申し込みも殺到しました。
アルメニア人の愛国心や団結心に胸を打たれると同時に、国全体が不可逆的に一つの方向に突き進んでいく様子に少し怖くもなりました。戦争という非常事態がどういうものかを垣間見たような気がしますし、そんな状況が起こり得る国に自分は住んでいるのだと痛感しました。
たとえ最悪の事態を回避できたとしても、この領土問題が根本的に解決されるわけではありません。同じような衝突がまた繰り返されるでしょう。そして、その度に多くの血が流されます。終わりのない争いや憎悪の連鎖には、虚しさと悲しみが込み上げてきます。遠い未来かもしれませんが、いつか真の平和が訪れることを心から祈ります。
大切な家族と平和に暮らせることって、当たり前のようですが、かけがえのない幸せ。その幸せを無慈悲に壊してしまう戦争が早くなくなってほしいと思います。
- [2016/04/06 23:04]
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アゼルバイジャンとの軍事衝突が勃発
日本でも新聞やテレビで報道されているので、ご存じの方も多いと思いますが、先週末にナゴルノ・カラバフ共和国の国境地帯で、アルメニアとアゼルバイジャンの大規模な軍事衝突が発生しました。
すでに双方には多数の死者が出ており、その中には幼い子供など民間人も含まれています。1994年の停戦合意以降では最大規模の激しい衝突で、国中がこの話題で持ちきりです。
当然ナショナリズムも高まっていて、ネット上には愛国心やアゼルバイジャンへの憎悪を表す書き込みが目立ちます。また、前線で戦う兵士たちのために献血や食糧物資の寄付活動などが盛んに行われ、男性たちが志願兵登録をしようと軍の出先機関に殺到しているという話も聞きました。
ここまで読むと、「アルメニアは危険?!」と不安になるかもしれませんが、戦地から遠く離れたエレバンは至って平穏なのでご安心ください。今日も私は大学に行きましたし、学生もみな来ていました。ただ、今年から兵役義務についている教え子が4人いて、内2人はカラバフで従軍しているとのこと…普通の学生だった姿を思い出すと、本当に胸が痛みます。どうか無事でいてほしい。
このまま大戦争に拡大するんじゃないか、ロシア対トルコの代理戦争に発展するかもしれないといった見方があるようですが、昨日アゼルバイジャン側が一方的停戦を宣言したそうですし、国際機関の働きかけなどによって、今回も最悪の事態は回避されるのではないかと思っています(そう祈っています)。
しかし、この停戦宣言はただの情報戦略だった可能性もあり、いまだに戦闘は続いています。事態が収束するまで、どれだけの被害が出るのでしょうか…終わりのない領土紛争のために、多くの人命が失われていくのはとても辛く悲しいことです。一刻も早く、お互いに攻撃の応酬を止めてほしいと思います。
ちなみに、ナゴルノ・カラバフ問題については以下のサイトに詳しく書かれていますので、関心のある方はクリックしてご覧ください。
ナゴルノ・カラバフ戦争 -Wikipedia-
長男アレンも、いつも通り幼稚園に通っています。未来ある子供たちのためにも、今回のような悲惨な争いが早くなくなってほしいと切に願います。
- [2016/04/04 12:45]
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ステパナケルトでの出来事
ステパナケルトでは民泊をしました。1泊1000ドラム(2.8$)と格安ですが、シャワーなどはありません。それは大丈夫なんですが、そこのお婆さんが、お金にうるさくて大変でした。朝「コーヒーかチャイ、どっちがいい?」と聞くので、コーヒーを入れてもらうと、「はい、200ドラム」。まさかお金を取るとは…しかも喫茶店と同じ値段。
また初日に、お婆さんは「洗濯してあげるから服を出して」と言うので、断ると、「いいから、出して!」とロシア語で捲くし立てます。仕方なく服を渡して、翌日に「洗濯した服は?」と聞くと、お婆さんは「それは明日」。しかし、私は明朝にエレバンへ帰ります。それを言っても、「明日、アイロンもかけて渡すから!」と答えるだけです。
さて翌朝、庭に出ると、なんと私の服がまだ濡れた状態で干してありました。今日の朝出ると言ったのに、さっき洗濯したようです。もう怒っても仕方ないので、濡れた服をナイロン袋に入れて立ち去ろうとすると、お婆さんは洗濯料として500ドラムを要求してきました。さすがに呆れて、「こんなに濡れているのに、お金なんか払えるか!」と怒ると、お婆さんも、「分かった。分かった。」と諦めました。
最後に嫌な思いをしましたが、お婆さんが少し可哀相にもなりました。ソ連時代の社会保障がない今、アルメニアの年金は10$ほど聞いたことがあります。お婆さんが民泊を経営をしているのも、お金に汚くなってしまったのも、全ては生活が大変だからでしょう。それに、正にこの場所で戦争を体験した世代でもあります。私には分からない辛い人生を送ってきたんだろうなあ…エレバンへ向かうバスに揺られながら、そんなことを考えました。
- [2009/07/28 20:13]
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シューシ
ステパナケルトから、バスで20分ほど走った所にある、シューシという町にも行きました。歴史のある古い町ですが、戦争で徹底的に破壊されてしまったそうで、私はその戦争の傷跡を見に行きました。
しかし、けっこう再建が進んでいて、一見のどかな普通の田舎町です。町の中心部には、立派な教会もあります。「なんだ…」と肩透かしをくらったようでしたが、まだ郊外にはボロボロの建物がたくさんありました。戦車などは見ませんでしたが、それらの廃墟を見るだけで、戦争の激しさと悲惨さを感じるには十分でした。
シューシはとても小さな町なので、1時間ほどで全部見て周り、帰りのバスを待っていたら、子供たちが声をかけてきました。ロシア語で、「どこから来たの?」「名前は?」と、いろいろ聞かれました。外国人が珍しいのでしょう。バスが来ると、「このバスだね。じゃ、バイバーイ!」と、無邪気に手を振って去っていきました。
ナゴルノ・カラバフの領土問題は、まだ解決していません。アゼルバイジャンとは、今も国交を断絶しています。徴兵制があり、私の友人も去年から軍隊にいます。アルメニアには、まだ完全な平和が訪れていないのです。しかし、無垢で可愛い子供たちのためにも、再び戦争という過ちだけは犯してほしくないと思います。
町の中心には、写真のような立派な教会がありました。工事をしていたので、破壊は免れなかったはず。中心から少し離れると、まだ廃墟が残っていました。右の写真の廃墟は、ミナレットがあるのでアゼルバイジャン系住民のモスクだったんでしょう。もうアゼルバイジャン系住民は残っていないので、廃墟のまま…
郊外の小さな教会裏にも、廃墟が…声を掛けてきた子供たちは、本当に無邪気で可愛かったです。無辜の子供たちが苦しまないよう、再び戦争だけは起こってほしくないです。
- [2009/07/27 19:35]
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ステパナケルト
昨日、ナゴルノ・カラバフ共和国から帰りました。2泊3日の旅で、首都ステパナケルトとシューシという町に行ってきました。朝9時半にバスでエレバンを出て、途中30分ほどの昼食休憩を取り、午後2時にナルゴノ・カラバフ国境に到着。アルメニア人はパスポートもビザも不要なので、私だけパスポートチェック。事前にビザは取っているので、5分ほどで終わりました。その後また2時間ほど走り、4時頃にステパナケルトに到着。
首都のステパナケルトは、普通の町でした。メインストリートには、店が建ち並び、タクシーやミニバスもけっこう走っています。20年前に激しい戦争があったとは思えないほとです。人々は親切で、安食堂を探していると、タクシーの運転手がタダで送ってくれたりもしました。
アルメニア同様に治安も良く、夜暗くなってから町歩きしていても、危険な雰囲気は全くありません。 珍しがって、若者が「ハロー」とか「ジャッキー・チェン」とか言ってくるぐらいです。
独自の通貨はないので、アルメニア・ドラムを使います。売っているものも、物価もほぼ同じ。ステパナケルトは、ただのアルメニアの一都市という印象でしたが、政府の建物には、ちゃんとナゴルノ・カラバフ国旗が立てられているので、それを見る度に、一応は別国家なんだと感じました。
左は、大統領府。事実上アルメニアの領土ですが、独自の国旗も、国歌も、憲法もあり、大統領もいます。右は、そのナゴルノ・カラバフ国旗(中央)。右のアルメニア国旗とほとんど同じです。
左は、ステパナケルト郊外にある「我らの山」という記念碑。老いた男女の姿で、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人を象徴しているそうです。右は、 歴史博物館。無料の上に、英語の上手なガイドが説明してくれます。やはり、アルメニア側から見た歴史でしたが…
ステパナケルトのケバブ屋。肉屋とケバブ屋が並ぶ通りがあって、そこでよく食べました。焼いたケバブを、ラバッシュという薄いパンで、野菜と一緒に巻いて食べます。アルメニアのファースト・フード。右は、立派な水飲み場。天然の湧き水で、冷たくて美味しい。
- [2009/07/25 19:23]
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